たしは、自分に「中身」がなくて、

「表面的」で上っ面な人間だな、、と

思いながら、知りながら、

 

自分をごまかしながら

生きてきたんですけれど、

 

決定的に

「どうも、しようが、ないんだな」と

思い知ったのが、

 

息子が「学校に行きたくない」と

言ってきた時でした。

 

 

息子が保育園に行っている時から

「きっと、公立学校は合わないだろうな」と

思っていて、

 

フリースクールの見学に

行ったりしていました。

 

 

でも、経済的な理由で、

公立学校に行くことになって

 

1年生の時から

やっぱり学校に行きたがらなくなりました。

 

 

学校に合わないって、

わかっていたのに

 

家にいられると仕事に行けなかったり

食事の用意も大変だし

一人だと心配だから

 

「行ってほしい!」と思ったり

 

無理やり行かせたりしました。

 

 

でも、

「学校に行くことが、

子どもにとって必ず必要」とも思っていないし

 

「学校に行きたくない」気もちも理由も

よくわかる。

 

 

わたし自身も「学校に行ってよかった」

と思っていないし、

 

むしろ「行ったからこそ、大変になった」

こともたくさんある。

 

 

今の「学校での生活」も

自分が行ってきた「学校での生活」も

 

「しあわせになるために必要」と

思っていない。

 

 

いろんな気もちが

沸き起こる中で

わたしは、何も対応ができませんでした。

 

 

息子自身は自分の意欲を知っていて

伝えてくる。

 

 

でも、わたしは

自分の気もちも

意思を感じながらも

 

決断力も、受容力も、行動力も

何もなくて

 

ただただ

表面的なことにとらわれるだけで

 

自分のなさ、

自分の無責任さを

目いっぱい思い知りました。

 

 

結局、

学校に「行ってほしい!行った方がいいと思う」

とも思い切れないし、

 

本人が「行きたい」場所に

連れていける経済力も持たないし

 

場所をつくることもしない。

 

でも、不登校だと、

わたしには都合がわるいから

学校に行ってくれたら助かる。

 

 

そんな、子どもに甘えきった自分だと

自分を知るきっかけになりました。

 

 

↓こちらでもちょっと書いていますが

 

ただただ、わたしの「問題」だったと感じています。

 

 

でも、

わたし「だけ」の問題でも

なかったと思います。

 

 

離婚をして、

経済的に余裕がなくなって、

近くに育児を手伝ってくれる親もいなくて、

働くことに制限がかかる。

 

バイトをかけ持ちしても、

それでも全然余裕がなくて、

自分を「時間」で売って、

お金を得ることには限界を感じて

いつも体力的な限界も

超えていて

 

どうすればいいのか、

抜け出せなくて、しんどく過ごし

葛藤しながら生きている、、

 

なんて、わたしだけではないのだから。

 

 

子どもが「学校に行きたくない」と

言い出したら、

「学校には行くもの!」と

信じさせられてきた人たちは

心配で戸惑いまくるに違いないんです。

 

そんな時代の転換期だから。

 

 

「自分のせい」でもあるし

「自分だけのせい」ではない。

 

「できない自分」と

「時代」を受け入れて

 

仕方がなかった、と

今は思うし

 

「できる自分」と

「時代」を受け入れて

 

これから

できることを

やっていこうと思います。

 

↓女性を応援する活動をしています。(アロマのトリートメント、カウンセリング)