私は20代の頃、精神科に5回入院した。生きているのが苦しかったし辛かった。何かしんどいのだけど、その原因が分からない。自分がどう生きていたいのか分からない。自分の気持ちがまるで分からないのだ。しんどい気持ちを無視して働き続けた結果、私は自分の気持ちを感じる機能をぶっ壊してしまった。私が私でなくなる度に魂はずっと悲鳴をあげていた。それに気づいて欲しくて精神が何度も大崩壊を繰り返したのだと思っている。これ以上はもう無視する事は出来ない。私はようやく、自分の声に耳を澄まさざるを得なくなったのだった。



思えば、がむしゃらに働いていた頃はお客様との会話が中心で自分の本音はつい後回しとなった。会社の先輩やお客様に合わせる。それが、当たり前の生活だった。上司に褒められたり、お客様に喜んでもらう事は私の生きがいだった。ただし、それは私の本音ではなかったのだ。周りに認めてもらう為の私でしかなかった。
だけど、どうしたいのか分からない。自分が本当にやりたい事が分からない。目の前の仕事をこなす事で毎日いっぱいいっぱいだ。自分の気持ちなんて、感じている暇がない。そうやって、私は私を誤魔化し続けてきた。何よりも、立ち止まる事が怖かったのだ。

精神科への強制入院は、今となってはそんな自分を救う為の変革期だったのだと思えるようになった。私は精神科から退院してからしばらくの間、日記のようなものをつけ出した。その日にあった嬉しかった事を寝る前に毎日書くというものだ。その頃、精神薬の処方のせいか鬱が酷く、ほっとくとどうしても気持ちはマイナスに引っ張られる。すぐに死にたくなってしまうのだ。どうにか自分で生きる喜びを見つけ出さなくてはならない。お風呂が気持ち良かった、今日は散歩に行けたとか、そんな事で良い。何か一つでも喜びを見つける。そうやって、少しずつ性への喜びを取り戻していく。
「どうしたの?本当は、どうなりたいの?」
そうやって毎日、自分に質問してあげる事もはじめた。無視し続けてきた自分の声を、沢山聞いてあげた。ノートに、25年分の怒りも悲しみも恨みも吐き出させてあげた。ただ、聞いてあげた。私から私へ。今まで無視してごめんね。これからは、毎日たくさんお話ししよう。
私は今日も私の魂の声に耳を澄ます。いつも光の方へ導いてくれるその声を、今度こそ聞き逃す事がないように。