Heart-Shaped Box!!

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音楽やら、文学やら、ゲームその他諸々の趣味について、だらだらと綴ります。要するにただの雑記です。ちょくちょく暗いですが、それが平常運転です。

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生きてる。不思議と生きてる。どうもです。

人生ってのはわからないものです。昨日、今日の間にあるたった数時間で、生活が一変してしまうこともあるのですから。

いつか絶対に訪れるものではあっても、それがまさか昨日今日のうちだなんて、人間は思いもつかないものですね。

「今かもしれない、明日かもしれない。」と不安を常に抱いていたら、とても生きてはいけないからでしょうか。きっとそうなんでしょう。

一日一日を大切に生きていきましょうという教訓を得た夏休みでした。



さて、話はがらっと変わりまして。

地味ーにシリーズ化してる信長の野望の木曽家についてですが、次回はしばしお待ちください。いや、待ってる人いないとかそんな悲しいことは言わないで。

それでは、またいずれ。




どうもです。本願寺攻めも終わったところで、虫の息の神保家を1567年12月に能登で滅ぼしました。

これといって苦戦も無かったので、省略。神保家の武将20人ほどを獲得。それほど強い武将はいないものの、これはすごく美味しい。

さて、能登を押さえたあたりで、武田がついに動いた。

長尾の飯田城と春日山城に大規模侵略をかけ、この2つを制圧。

これによって、長尾の越中における拠点の富山と魚津が孤立。攻めるには恰好の機会に。

守将の斉藤朝信は強敵だが、富山と魚津だけの兵力では流石に問題にもならない。

手に入れたばかりの七尾と尾山から出撃し、順調に制圧。

運のいい事に、斉藤朝信を捕虜に。しかも寝返ってくれた。

はじめての…統率80超え武将…!(必死)

この2つの城を攻略したことで、木曽家の領域は飛騨、加賀、越中、能登に広がりました。

最初は木曽福島たった1つから始まったと思うと、感慨深い。

こちらが富山攻略にかかっていたころ、長尾と武田にまたもや動きが。

越後の全軍をもって長尾が春日山攻めを敢行し、これを奪還。

1568年9月、武田との同盟をいかすのは今とばかりに春日山に向けて援軍をお願いし、越後を統一するくらいの気持ちで、侵攻を開始。

越後は春日山の兵力が膨大だが、そこさえ押さえれば新発田まではそれほどでもない。

武田も信玄公自ら北信濃から出陣し、いい具合にこっちの部隊と春日山を挟撃する形となった。

謙信公が新発田に居たというラッキーも重なり、春日山を無事に制圧。

そのままの勢いで越後の各城へなだれ込む。会津まで進出していた伊達も動き、新発田に攻撃を仕掛け始めた。

順調に北条城などを落としたものの、栃尾城で苦戦。

兵力は倍近くあるのに、謙信公の部隊が強い。強いというかなんだこのチート性能。

同数だったらどう足掻いても勝てる気がしない。

この戦いで木曽家から初の討死が。神保長城でした。滅亡させた末に討死させるとかごめん。許して神保…。

なんとか栃尾を確保したところで、新発田と安田が伊達の攻撃によって落城。

こちらも長尾から手痛い反撃を食らっていたため、このまま伊達と一戦交えるのは無理だと判断。というわけで一旦撤退。

さて、次回は、宿敵の斉藤家を背後からぶん殴る話。






さて、Part2で飛騨を統一した我が木曽家なのですが…。

富山城を長尾に制圧され、神保家は能登に引きこもる形に。そのせいで、富山城の攻略の難易度が跳ね上がりました。

城主は斉藤朝信。どう考えても強い。

斉藤家の攻略を念頭に置いてはいたものの、斉藤家の各城は、かなり兵力が大きい。

立地的に一番攻めやすい苗木城も、4000以上の兵力。堅すぎ。

明らかに敵に回したらヤバいので同盟を組んでおく。


ならば次の目標は…?

目をつけたのが福光城。本願寺の城です。

兵力的にも2000に満たず、そして何よりも金山を抱えている…!

常日頃からかっつかつの財政を強いられてる現在、金山は喉から手が出るほど欲しい代物。とるっきゃない。

富山城などを落とされ、能登に引きこもらざるを得なくなった神保家の七尾城を、尾山御坊からの本願寺の兵が囲みはじめたタイミングで、侵攻開始。

主力が七尾攻めに回っているなら、本願寺も難敵でもありません。

順調に1564年6月福光城落城。

調子に乗ってそのまま尾山御坊を攻めましたが、七尾城を落として引き返してきた主力に撃退されました。

ともかく、これで金山と加賀と越中への足がかりを獲得。

尾山→福光のルートに設営をしつつ、内政を進めていると、本願寺が福光城を取り返そうと1万以上の兵力で侵攻してきました。

流石にびびったというか


「あ、これは無理ですね。」



と一瞬悟りを開きそうになったが、気を取り直して設営を駆使して全力で迎撃。

国人衆を有効活用しつつ、とにかく会戦でなんとかする。

なんかどうか守り切ったが、流石に何度も侵攻されると兵力的に厳しい。

この状況を打開する術として、飛騨の山の中に帰雲城を築城!

ついに築城も出来るようになりました。嬉しい。

そして、木曽家の運命を変える時に至ります。


1566年2月、本願寺が福光城に再度の侵攻。総数は1万4000ほど。

一度目の侵攻と同じように、迎撃する。そして、願ってもみない報告が。

本願寺顕如、討死。

これは今しかないとばかりに全軍でもって尾山御坊を攻撃。

願証寺(下の名前を忘れた)が迎撃に打って出てきましたが、撃滅。そして彼も討死。

もはや可哀想になるくらい運の悪い本願寺。問答無用で攻める。

そして1566年4月、尾山御坊落城。本願寺の武力の中枢である下間頼廉を捕縛、処断。

大体これと同じタイミングで、武田への従属が解除されました。その後、すぐに婚姻同盟を結びました。

そのまま高岡、七尾も攻め落とし、本願寺の城は大聖寺のみに。

1567年10月に攻め落とし、本願寺は滅亡しました。


七尾、尾山御坊を得た事で爆発的に兵力が増加。

加賀の制圧が完了し、越中や越前にもにらみを効かせられるほどに。


さて、次回は、越中の長尾家と能登のはじっこで地味に生き延びている神保家を攻略します。