![カナヘイうさぎ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/limited/001.png)
悪性リンパ腫で闘病中のYUUです。
病気になって
1番辛かった瞬間は
病名告知をされた時でもなく
死亡率を言われた時でもなく
〝不妊〟を告げられた時でした。
私は悪性リンパ腫の治療に
hyper-CVAD/MA療法という抗ガン剤治療を
6クールしました。
その中で使った抗ガン剤『エンドキサン』。
主治医の先生には
抗ガン剤治療に使うエンドキサンは不妊になる量では無いと言われ治療を受けました。
しかし、骨髄移植が決まってから
骨髄移植で使う大量の『エンドキサン』と全身放射線でほぼ100%不妊にさせることを知りました。
また、別件で退院中に行った婦人科で
今行なっている抗ガン剤治療でも不妊になるよと言われました。
…え、主治医の先生は
そんなこと言わなかったのに。
私もう子どもが産めない身体なの?
悲しくて悲しくてたまりませんでした。
息子に兄弟を作ってあげられないことが凄く情けない母親のように思えて自分を責めました。
主人にも申し訳なく思いました。
自分の姉が優しくしてくれる度に
自分の息子はこんな兄妹の存在を知らないまま育つなんて最悪のことのように思えました。
周りは
『命助かったんだから贅沢言うんじゃ無い』
『1人授かってて良かったね』
と言いました。
兄妹を作るのが夢だった私は
正直この言葉が大嫌いでした。
不妊のことを考える度に
涙が溢れでてきて
夜中は怖い夢を見てうなされ
テレビや道端で兄妹を直視できなくなりました。
周りの友達が次々と立派に2人目を産んで育てているのが
嬉しくもあり悲しくもあり羨ましくもあり
とてもとても辛かったです。
毎日毎晩泣きました。
待ちに待った骨髄移植が
悲しい悲しい不妊への道のように思えました。
命を救ってくれた主治医さえも
『不妊にならないと言ったくせに( ; ; )』
と恨んでしました。
その思いを骨髄移植の2ヶ月前に
骨髄移植コーディネーターさんにお話ししたところ
『一度聖マリアンナ医科大学病院でちゃんと専門家からお話聞いてみる?』
とおっしゃって頂きました。
お話の流れから聖マリアンナ医科大学病院で
✳︎骨髄移植で不妊になる事実と
✳︎いかに第二子を諦めるかを
説明されるのだろうなぁと
思いました。
それでも
ちゃんと説明してもらって
自分で聞いて
納得して
さっぱりした気持ちで
骨髄移植に向かおうと思いました。
長くなりますので
に続きます。
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