身体は神様からの借り物と言われている。

 

身体は潜在意識の入り口と言われている。

 

一説によると

病気は積もり積もった思考の癖が現れると聞いたことがある。

 

潜在意識からの

最終通告。

 

あなたの魂は

そっちじゃないよ

という天からの教え。

 

 

 

今の日本は

病気で死を迎える場合が多い。

 

その死因のほとんどは

生活習慣病。

 

日本人の2人に1人がなると言われている癌も

生活習慣病。

 

 

 

何が言いたいかというと

私が思うに

 

占いの死期と

今の日本人の死は

環境によってひょっとしたら違っているのかもしれない

ぴったり当てはまらないのではないか

と思うということ。

 

 

良く言えば

生活習慣さえ整えられれば

占いで出てくる死期を伸ばせられるのではないかと思う。

 

紫微斗数は

健康運が落ちる時期もわかるし

原因もわかる。

 

そうなりやすい

魂の癖もわかる。

 

健康運が最も落ちるのは

破格のときだと思う。

 

例えば

BーBの場合は

血気盛んすぎたり無理しすぎて怪我や事故、病気になる

ということだと思う。

 

私はまさにそうだった。

 

自分でもわかっていたのに

まだできる、大丈夫と思って

無理を重ねて癌が急激に大きくなったように思う。

 

DーDならきっと

否定的な思考を積み重ねた結果

アクシデントが積み重なった結果

のように思う。

 

AーAならきっと

人を大切にしすぎて

自分をおざなりにした。

(ネットニュースで癌なのに地区のボランティアを断れなくて

死期を早めたかもというお父さんの話を見た。)

 

CーCならきっと

人とぶつかるのが嫌で我慢をして

ストレスが溜まったことから病気になったんだと思う。

 

その他にも

病気になりやすい身体の部位や

病名もわかる。

 

こんなことは

知りたくないとも思う。

 

知って落ち込むってことも

あると思う。

 

私もそうだった。

 

癌になって思うのは

そのまま放っておくと

肉体は必ず老化するし

今の日本の社会では身体に良い食事はかなり難しいということ。

 

身体に害する食事がほとんどだということ。

 

自分の身体に合った食事方法を

自分がまず知らないということ。

 

身体は時間と共に老化するけれど

この老化というのはかなり個人差がある。

 

実は

努力でかなり遅らせることもできる。

 

この年になったら仕方がない

知らなくてもなんとかなる

 

そんな考えは

実はすごく危ない。

 

大きな病気をすると

老化が一気に早まる。

 

それは遺伝ももちろんあるけれど

今の日本では生活習慣の差の方が

実は大きいところもある。

 

大腸癌は遺伝が大きいなんて言われているけれど

(病院でも散々聞かれた)

 

私の親戚に大腸癌なんて一人もいない。

 

絶対に

生活習慣。

 

でも私は

そんなに崩れる生活習慣はしていなかった。

 

だから

元々持っている生年四化が

健康を表す宮である疾厄宮にBとCがあり

BーBで破格であることが大きいんだと思う。

 

 

元々持っている運は変えられないので

後天的な(まさに自化作用)生活習慣を自分に合ったものに

変更するのみです。

 

鑑定をしていると

いろんな相談を受けるけれど

健康があれば

他はなんとかなると思うのです。

 

お金だって働けばいいし

パートナーだって変えたらいい。

 

でも健康はやっぱり唯一無二なのです。

 

 

 

鑑定を受けた方で

その方の親しかった叔母にあたる方が

子宮癌が末期で切除手術ができなかったそうです。

 

「人に言われたくなかったのかも」

「ギリギリまでやりたかったのかも」

 

きっとそんな魂の癖は

お持ちなのかもと思います。

 

私もそうだから。

 

でも

人間は死を前にしたらやっぱり怖いし

そんな時には長生きしたい、健康になりたい

なんて思っちゃうんじゃないかなと思うのです。

 

占いなんて当たらない

 

私は実はずっとそう思っていて

心の世界の探究は心理学が中心でした。

 

でも

古くからずっと続いているからこそ

占いって当たると私は思います。

 

紫微斗数は

健康運も当たります。

 

私が今

紫微斗数をメインに占い師として生きたいと思う

大きな理由です。

 

 

 

自分の大切な人が身体の状態について知りたいと思ったとき

伝えられるような自分でいたいと思います。

 

決して

親切の押し売りはせずに

必要な時に必要な手を差し伸べられたらと思うのです。