年暮る日まであと数日。

 むぅさんの一周忌も終えてホッとしている私ですが、一箇所安堵できる結果が出るとまた一つ、二つ心配な箇所が浮き出てくる歳を重ねた私の身体。

 来年は結構大変な決断(💸)や厳しい診断をされる検査が待っているかもしれません。


 そんな沈んだ気持ちを明るくさせる為に、家はすっかり片付いてあとは年末のお墓掃除と3日連続通院しか用事がない私、夫と出会った頃からの事を思い出したりしています。

 出会って30数年、両親と兄よりも長く一緒にいた夫、わんこも食わないケンカもしましたし、災害被災時には「離婚だ!〜」騒ぎで実家にも心配をかけた事もありました。 でも何故かまた自然に話し合って鉄と磁石のようにくっついてしまう2人でした。

 今ならパワハラ亭主?、「出て行け!」「オレが食わせてやってる!」なんて、むぅさん、良くケンカの時に言ってましたっけ。 

 何故か許せてしまうのは、頑張る彼の姿をずっと見続けていたからでしょうか。

 車道楽でほんまに好きな車に全力投球、「私と車とどっちが大事やのん?」と休日のディーラー行脚にあきれて尋ねたら、「車‥?」と小さく呟いたむぅさんに、"そんなむぅさんでもしゃーないわ"と2番?で頑張ってきた昭和の嫁の私。

 

 むぅさんが病気になってからは、進行で大好きだったむぅさんがだんだんと変わっていくのが身を切られるように辛くて、でも一番辛いのは酷すぎる病気と闘うむぅさんなんだ、と思い寄り添うだけで必死でしたが、新型コロナの流行の為の施設入居で始めて長期間離れなくてはならなくなり、当時はコロナ感染防止の為に面会もできなく、そこから病気は一気に進んでしまって病気と闘い終えるしか無くなってしまった夫、最期はひとりで頑張った夫を思うと、やっぱり彼は凄い、最高の人であり、最高の夫だった、と思う嫁はんの私です。


 昨年、彼が亡くなる直前に原因不明の急な激しい動悸と血圧上昇で別の病院に救急搬送された私。 今でも彼が「オレ、もう‥  来てくれへんか」と私を呼びに来てくれたと信じています。

 方向音痴な私は違う病院に搬送されてしまいましたが‥「そっちやない、こっちや‥」むぅさん、がっくり来たと思います。


 思い出していると、また泣いてしまいました。

 まだまだむぅさんを守らないといけない私。

 写真に話しかけながら、彼を思い起こしながら、ぼちぼち生きていきます。