【運命感じて】後藤由香子展〜誕生日に思うこと | バラとオペラとチョコレート

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後藤由香子展

 

誕生日の2月10日、故後藤由香子さんの追悼展示会を訪れました。

後藤さんの作品には、昨年かな、渋谷のヒカリエで出会いました。

衝撃的に美しく、伝統文化そのものでありながら真新しいスタイルの雛人形に、ぞくぞくしたのを忘れられません。

そのしばらく後、突然彼女が卵巣癌で亡くなられたことを公式サイトで知りました。

49歳だそうで、召されてしまったのだなぁ…て思いましたね。

そして、追悼展示会の初日がわたしの誕生日2月10日と同じ日で、また、作号 由(ゆう)と、同じ音を持っていることに、運命感じました。

後藤由香子gothic

(後藤由香子展:横浜人形の家 "Gothic")

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最近「死」というのは、「次元の違うところに行った」
という解釈もするようです。

なるほどね、

存在する空間は、「この世」と「あの世」だけではない、ということでしょうか。

昨今、銀河ですら無数に存在するだとか、
太陽はひとつではない、
太陽的な星はたくさんあるとか、
ほかの宇宙もいっぱいある、
など、普通に科学的に言われています。

わたしが小学生だった時代には、銀河系はひとつと教えられていました。

そういう「そういうものだ」というのがどんどん覆っていくこの頃。

ですから「死」、そして「肉体」というものの概念もどんどん変化していくのでしょう。

生きている彼女…、
それに現生を去られた人たちに会える次元が、
どこかにあるのかもしれません。

というか、肉体があることだけが生きている、ということではないんですよね、そもそも。

人もいろんな形で存在する。


展示会で、彼女が人形という形でその時まさに、わたしの目の前に存在していると、たしかに「バイブレーション」で感じられましたから。

バイブレーションが作品の周囲に、オーラのように在るって感じで。

今は作品が彼女の肉体の代わり、と言えるのかもしれません。

ご本人がまた美しいんですよねー。

存在そのものが美なんだな…て感じました。


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それと、横浜人形の家で見たたくさんの、世界中の人形たち。

人形という文化が、人々の愛情表現のひとつだったのだなぁと感じましたし、時代や国境を越えて、
「愛はどこでもいつでも同じ」
と肌で感じることのできる空間でした。

「わたしたちはずっと愛されてきた」

そんなメッセージが「横浜人形の家」に溢れていました。


あと、これは別の話だけど、とある著名人の方のサイトから、誕生日のメッセージが届いて、
「足手まといの自分を育ててくれてありがとう」
的なことが書いてありました。

うーん、子供というか赤ちゃんというか、そういう存在は足手まといという発想で語るものなのか?

と思って、あまり共感はできなかったのですが、
それはそれで、おもしろいもの言いだなぁと思っておきました。


まぁ、でも、事実ですからね。

「事実」、子供は物理的には足でまといかもしれない。

しかし、「真実」においては、愛そのもの。

大人だって愛そのもの。


「愛されてきた歴史」

肉体の人生を終えるときに持っていくのは、これだけなのではないかなぁ。

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さて、今日も近所のベビーがファミサポで来ていて、帰宅すると元気な「おたけび」に迎えてもらいました。(お姫さまなんですけどね!)

ぐずる彼女をMusic of the nightを歌って寝かしつけた素敵な妹にBrava!

今日は機嫌があまりよくなく、3人でかわるがわる抱っこして、みんなで腕がぷるぷるになりながら、突如眠気におそわれたりしながらの食事となりました。


面倒見る人が3人くらいいると子育て楽だよねー、
て、母と話しながら。

気持ちだけは全国のママさんをねぎらいつつ、くれぐれも、できるかぎり周りのサポートを受けて、子育てを楽に通り抜けてほしいなと思います。

母親だからしっかりしなきゃ、じゃなくて、母親だから甘えたほうがいいんだと思う。

 

なんか、思うことがたくさんあった誕生日でした。

 

日頃から「愛」をたくさん浴びれる環境や人々がいることに感謝して、明日も元気に遊ぼうと思います。

 

有難う!!