今回のブログはTwitterに「全て書く」と宣言しましたが書けない部分も

ありますのでご容赦ください…すみません…

 

本業の方も落ち着き、そろそろブログを書こうとしておりましたが…

突然の母親の骨折や講演会の依頼などがあり手を付けていませんでした。


そうこうしているうちに師匠にも電話を…

いやアリゾナから義姉が来るからその時に一緒に電話をしよう!なんて考えていた。

 

3月25日…休日出勤するため早起きしていたところ突然…妻の電話が鳴る…この日は妻も早起きしていました…

4:55に電話…一瞬母親に何かあったのかと思いきや、それは師匠の娘さんからの電話でした。

妻が電話に出ると衝撃の一言が…「父が亡くなりました…」

 

愕然としました…青天の霹靂とは正にこのことです…冷静に受け止めることはできませんでした。

電話が切れた後、二人で泣き崩れました…とても仕事に行かれる状況ではありませんでした。

自分は会社に電話をして休日出勤をキャンセルし(職場に多大な迷惑を承知で)妻はその後電話をしました。

 

頭が真っ白でした…何も思いつきませんでした。

しかし、体は動いていました。

少しの着替えと準備を済ませ着の身着のまま車を走らせました。

650キロ先の師匠の元へ向かっていました。

この時、礼服も数珠も何も持っていませんでした。

思いつきませんでした。

途中、師匠の娘さんへ連絡を入れる時にアレもコレも無い事に気づきましたが時すでに遅し…

 

二人で涙を流しながら車を走らせました。 速度違反にも気づきませんでした。

もちろん停められ事情を説明することなく淡々と処理を済ませ向かいました。

そして到着すると、まだ師匠の体は検死の為帰宅していませんでした。

待っている間、師匠の奥様と息子さんから状況の説明などを受け話をしていました。

師匠のご家族とは深いお付き合いをしていたため家族同然でしたので…

なかなか帰ってこないので道中ご家族から依頼されていた「ご注文を受けている乾いている土偶さんを焼いて欲しい」ということもありまずは窯のチェックをしましたが…絶望的でした…

 

よくこの状況で焼いて燻まで行っていたと思うほどの状況でした。

薪の量も確認しました…「焼くのは1回限り」…正直それでもかなり厳しい決断…師匠のご家族に説明しました。

「焼いている最中に窯の天井が崩落する可能性があり自分の判断は…焼かない決断です。薪の量は1度きりです。天井崩落全滅覚悟なら火を入れます。」と伝えました。

するとご家族は「せめて商品になる土偶さんだけでもその覚悟でおねがいします!」と…再確認してもご家族の決断は変わらないので正直困りましたがやるしかない…

他の方から聞かれたら「焼けない」という事を言うしかない…いや…焼きあがって本当に完成する状況になるまでは…凄く苦しい受け答えを…

聞かれる度にしなければならない覚悟の上で…批判されようが罵倒されようが承知の上で「焼けない」と言い切る…師匠が居なくなった今…全部被る決断でした…

 

そうこうしているうちに師匠が帰宅し葬儀社の方たちがテキパキと準備を進め式段が整い今後の事の打ち合わせが始まり自分たち弟子も「家族」として同席を許され数時間…

自分は既に父親の葬儀を取り仕切った経験があり喪主師匠の息子さんのサポートをすることになりました。

こうなってくると既に他人ではない状況という…だが…だからといって様々な人に色々話をするわけにいかない…とても立ち位置の難しいところでしたので自分からの連絡は控えました。

 

そして通夜…葬儀…納骨まで家族として全て師匠ご一家の許可を得て…ご親戚である師匠の叔母様と師匠の実兄の許可もあり全てにおいて礼服無しで準備も列席者のお迎えも全てにおいて妻と2人で行いました。

とてもじゃないですが師匠のご家族は憔悴しきっていてそれどころではありませんでした。

自分達は到着までの車の中で悲しんだ後は一切そういった時間を持つことはできませんでした。

そう…師匠ご家族の想いも果たさねばならないので…

 

そんな中…救世主が現れました。 師匠から聞かず娘さんから聞いていた2番弟子が!

2番弟子夫婦は既に金山焼という焼き物をやっていてプロです。

近いうちにイタリアへ行って焼き物を続けることになっています。

そちらと粘土をたくさん捏ねてくれていた協力者と話になり焼き作業は兄弟弟子で行う事になり師匠ご家族の想いを果たそうと準備をしました。

そして…師匠ご家族が焼いて欲しい師匠が焼かずにいた土偶さんを選び出してくれましたがこの時とても困った事態が発生したのです…

 

完成という事で乾燥させていた作品が…完成ではないもの多数…師匠が仕上げたとは思えない状況の土偶さん…

物凄い大きな土偶さんは師匠の教えである「必ず缶に入れて焼かねばなりませんよ」という教えに従えないほどの大きさの土偶さん…こちらの土偶さんも目が仕上がっていない事や、持ち上げてみたら後頭部に割れが入っていたり境界線が露すぎてとても手に負えない…

更に師匠の教えで「他人の作った作品に手を加えてはならない。どんな理由であっても。」という絶対に守らねばならぬ製作の教えに反する事…

実のところ自分達の土偶さんも最初の弟子入りの時以外師匠が手を加えることは一切ありませんでしたし、師匠が決めた共同作業以外の土偶さん以外は手出し無用でした。

それが例え壊れていようとも一切の手出しはお互いに厳禁でした。

 

そして厳選した土偶さんを窯に仮並べしてみると…許容量をアッサリ超えました。

そこでご家族の判断を仰ぎ「缶に入るものだけ。入らないものは諦める。」と苦渋の決断…ここで自分たちは境界線を越えています。

師匠の言う絶対の約束「他人の作品に絶対に手を出してはならない。」を超えました…

三次元での約束は、なされていない「焼き上げる」という作業…意を決して行いました。

上の許可も無く始まった賭けは…見事に失敗しました…

窯の状況は先の説明の通り絶望的な傷み具合で完璧に焼けたのですが燻は一切乗ることはありませんでした…

2番弟子の旦那さんの方もあらゆる知恵を絞り格闘しましたが「負けた…」と肩を落としていました…

 

結局、師匠のよく言う話の通り「完成させてもらえない土偶さんは世に出してはならぬものなんですよ。いくら作り直しても、お願いしてきた方の気持ちがどんなに切実でも上の許可無しには絶対に完成しないんですよ。乾燥までさせても壊れるし修理してもまた壊れる。ようやく焼いても爆発したり燻が乗らない…様々な見えないチカラの事柄が起きるものなんですよ。肝に銘じておいて物事を進めてくださいね。」という言葉が蘇りました。

自分達の知らないところで夢野温泉を助けようとしていた人々が居ました。

その方たちの想いを、師匠と共同作業で土偶さんを製作していた方が居ました…その方の想いを…

そして…ご家族が「最後の父の作品を焼いてください!」という願いを…

皆の大きな願いを私たち2組の弟子はみんなの大切な想いを叶えることが出来ませんでした…

 

その状況を見た師匠の奥様は「みんなよくやってくれたよ。師匠(本当は名前)がなかなか焼かなかったのは窯の限界を超えている事が分かっていたのかもしれない… 無理を承知で私たち家族がお願いしたことだからここまでで十分だよ。 ありがとう。」と優しい言葉を掛けてくださいました。

師匠の息子さんも娘さんも「ありがとう。十分です。これ以上は薪も無いし、もうできない事は全く土偶さんの事が分からない自分達でも分かります。本当にありがとうございました。」と…

無念でした…苦渋の決断で諦めた土偶さん達…焼いてしまった以上元の粘土に戻して地球に還せない土偶さん達…

本当に申し訳ない悲しい氣持ちでいっぱいの私たち2組の弟子に師匠家族は罵ることなく、批判することなく…

本当は一番辛い氣持ちでいるのに優しい言葉を掛けてくださったことに心から感謝します。

 

そんな中で悲しいこともたくさんありました。

家族が亡くなり喪失感でいっぱいのところに届くFAXや電話…何かを引き取りに来る人…

自分達が逆の立場だったらどういう気持ちになるか想像もつかないのでしょうか…

人の心に平気で土足で踏み込んできて弱っている人を更に叩いていることに氣づかないのでしょうか…

勿論、私たち弟子は師匠の使っていた道具や型等を必死に全ての場所を探しました。

見つからない資料も道具もたくさんありました。

写真を載せますが、ほぼ軟禁状態で寝る間も惜しんで製作していた師匠の工房にはたくさんのタバコの吸い殻を集めたビニール袋に空の缶コーヒーの缶や、空のコーヒーのペットボトルが散乱していました。

もともと片付けの得意でなかった師匠ですがこんな惨状の工房は初めて見ました…

 

 

 

 

 

 

その惨劇の中での製作活動…情景がどんどん目に浮かび涙が溢れました…どんな想いで製作していたのか…どんな想いでご注文された方の土偶さんを製作していたのか…どんな想いで弟子の事を思っていたのか…

そして何より…どんな思いで夢野温泉復活とご家族の事を思っていたのか

今は知るすべもありません…

そんな事も想像つかない人々もいるというのは本当に悲しくてやりきれなくて…

道具も見つからない、あの時作った土偶さんの型も見つからない…

ご家族に形見すら渡せない弟子のふがいなさ… 様々な想いの中全て葬儀は滞ることなく終わりました。

 

様々な想いをご家族と話をして今後も家族同様…いえ…今後は家族としてお付き合いをしていくことになりました。

夢野温泉は幕を閉じます。 夢野温泉の建物は早いうちに様々な理由により取り壊しも始まります。

そして夢野工房は…私たち弟子2組が引き継ぎイタリアは「夢野焼」として、日本は「夢野工房」として2組の弟子が分かれて師匠の遺志を引き継ぎ活動を続けます。

 

とんでもなく酷い弟子、とんでもなく素行の悪い弟子、なにもかも酷い奴等だとレッテル貼られても続けていきます。

別に私たち弟子の作品を手に取っていただなくてもいいのです。 私たちは土偶さんを売って生活しようとは思っていません。

必要な人に必要な土偶さんが手元に届けばいい…師匠も言っていた「私が作ったものでも、私が認めた弟子が作ったものでもエネルギーも想いも変わらない土偶さんなんですから胸を張って製作を続けていってくださいね!」という言葉に従い私たちは続けていきます。

 

そして夢野温泉と師匠の生きた日々は関わった全ての人の心の中で生き続けます。

長文になりましたがお付き合いくださり、ありがとうございました。

また製作のお話や、自分のくだらないお話などブログを不定期に更新していこうと思います。