水の樹です

先日、とある神社へ参拝した際の
出来事です
いつものように、感謝の報告です

今日も娘が無事に過ごせていることに
感謝します、ありがとうございます

と最近はいつもこれです
仏壇、お墓参り、神社、見えない存在の
方々へ感謝を伝えます

いつものように、参拝を終えて
ふと賽銭箱の隣を見ると
蝶々が止まっていたのです
近づいても飛び立つ素振りもなく
記念に写真をとりました

よくよくみると、羽の下側を無くして
いるようです

はたして飛べるのでしょうか?

神社で生き物を見るとラッキーだ
という気持ちでテンション上がって
ました
でも、負傷した蝶々であることにも
意味を感じます

私には、娘の病気を治療することも
できなければ、この蝶々を治してあげる
こともできない

できるのは、祈ることだけ

こんなふうに考えると
病気やケガが、本当に不幸なのか?
それらを抱えてなければ幸せなのか?
幸せの概念は、人それぞれ違うという
ことがわかる

この蝶々が飛べなければ
花の蜜に辿り着けず、死んでしまう
かもしれない

しかし、これが自然の摂理であって
物質ゆえの自然な成り行きです
人間含めた自然界には、残酷と思える
事象が日常的に繰り返されている

神社にいた蝶々が飛べることを
祈ります


自分にとって、何を最優先で生きて
いくのか?
娘の病気発覚から3ヶ月たち、願いは
ビジョンとなっています

私は家族に何があろうと支えて
いくこと

私は、この世に生まれて偉業を成し
遂げる必要もない

娘の病気が教えてくれたことは、
ただ家族としての繋がりが尊いことで
常に自分にとって、生涯優先することを
忘れないこと


結局、愛なのだ


愛って言葉、ちょっと気恥ずかしい
っていうか躊躇してしまうのは
私だけでしょうか?


家族は大切だが、それ以外は大切じゃ
ないのか?
もちろん、これも違う
動物は?植物は?


愛とか平和とか、スケール大きく
なってくると机上の空論を唱えている
気分になる

これも私だけてすか?

でも、他に言葉が浮かばないので
やはり、愛という言葉になってしまう
照れ臭さを感じているようでは
これらの言葉を使う器ではないって
ことかも知れません

私が好きなお話で
放蕩息子のお話があります

良かったら検索してみて下さい
見返りを求めない、究極の愛が
わかりやすく描かれています

だいぶ話がそれましたが、娘の経過を
ご報告致します

先日、2ヶ月ぶりに骨盤MRI撮影し
16cmあった骨盤の肉腫は半分程度に
縮小しておりました

文字では冷静に聞こえますが
涙が出る程、嬉しい結果でした!

単純に

あー、娘は生き延びられる
どうかこの調子で消滅して下さい

と心の中で思うのです

多発している肺の転移腫瘍は
先月半分以下に縮小
していることが確認できました
原発の骨盤にも抗がん剤が同じように
薬が効いていたのです

それでも大きさは10センチ近く
あるのです
腫瘍がゆっくり縮小してくれれば
それでいいのです

1回目の抗がん剤は不発に終わり
2回目の抗がん剤が効果を見せてくれ
ています

不幸中の幸で、娘はついてます
この調子で克服できることを
祈り続けます

神社で出会った蝶々が
良い事を運んでくれるかもしれません🍀

ちなみに、蝶々を見かけたのは
娘の骨盤腫瘍縮小がわかった翌日です
これから良いことが起こる暗示と思い
ワクワクしています(笑)