水の樹です

2ヶ月前、がん患者となった
17歳の娘の闘病記でもあり
母の闘病記でもあるこのブログを
ご覧頂き、ありがとうございます

かれこれ2ヶ月経過し、3回目の抗がん剤を
終えたところです
骨盤の16センチの腫瘍は、今どんな様子になっているのか?とても気になりますが
MRI撮らないとわかりません

きっと、驚くほどキレイになっている

こんなふうに、自分に刷り込んでます
次回の検査が楽しみてす

転移した肺のがん細胞は
レントゲン画像で腫瘍縮小している
この抗がん剤の効果は、いつまで続いて
くれるのだろうか?
手放しで喜んでいるのだが、薬剤が効かなくなることも想定しといた方が良いのだろうか?

肺の転移がんは、いくつも点在している
大きなもので3センチ以上はある

毎晩、キレイな胸のレントゲン画像を
思い描き祈ります

そして娘は、4月から始まるオンライン授業に
戸惑いを感じている
もし私が彼女の立場なら
友達や勉強、全てから置いてかれている感
ありありです
無理もないですよね
ある日、天と地がひっくり返ったのですから…

オンライン授業とはいえ、治療がどれくらい
かかるのかわかりません
4月から高校3年生だが、登校せぬまま終わるかもしれない
2学期から通えるといいね
とよく話します
娘なら本当に通えるだろう
ウイッグで普通に登校する姿が
目に浮かびます

でも、油断すると思考が大暴走して
様々な不安や恐怖がこみ上げてきます
そんな時は、いつものホオポノポノに
お世話になります(笑)

ありがとう
ごめんなさい
許して下さい
愛してます

私の精神安定剤になっています
この言葉を繰り返すお陰でメンタル保てる
なんて不思議です

最近は、治療の合間に外泊するようになり
娘にとっての楽しみとなっています
元気な時は、家族と話すことも少なく
部活、友達、彼氏、バイト…
それが娘の世界でした

治療が終われば、新たな世界が待っている
待っていなれば作ればいい
娘と過ごす将来を、色々考える

娘が生きていることだけでも
幸せ、嬉しいと感じるなんて
娘が赤ちゃんの時を思い出す
子供はいくつになっても子供
ってホントです

幸せなあの頃、忘れかけてるなんて
もったいない
懐かしむ時間も楽しいし、忘れたくない

娘が淋しくないように
諦めずに生きる希望を持てるよう
支えていくつもりだが
支えられるのは私の方かもしれない

私は娘の病気がわかるまで
家事もいい加減にして
とにかく仕事中心だった
早出、残業、休日出勤はあたりまえ
夜勤も多かったため家族は自立せざるを
得ない環境だった

止まらない私を止めてくれたのは
娘の病気だなんて…
もっと他の理由はなかったのでしょうか?
今やっと仕事中心から、娘中心の生活になり
後悔もあり、反省もある

仕事のことばかり優先してきて
ごめんなさい🍀