朝からお弁当を作って糸島郡志摩町にドライブがてら
買物に行った。
買物とは。。。。
魚や野菜やお花の直販売所だ。
どれも安くてとても美味しい♪
10時前に家を出発した。
「今日はお天気が良いはずなのに、曇っているね~」
なんて言いながら、向かった。
野菜や果物を買って、ちょっと早いけど
弁当を食べる場所を見つけながらドライブをすることになった。
海がきれいに見える高台に上っている途中だった。
10時53分
運転していたトモシタのハンドルがフラフラとした。
私はすごい突風が吹いたかと思った。
その後すぐに山から石が落ちてきた。
トモシタが
「間一髪、石が落ちてくるところだった。
パンクしたかと思ったけど、大丈夫みたい」
向こう側に見える山のあちらこちらに
土砂崩れが起こった後の砂煙があがっていた。
地震とは知らずに
まだ高台へと車を走らせてた。
上がっていくと道路に亀裂があり、
石もたくさん落ちていたので途中で引き返した。
山を下りていくと
農業をしていた人達が集まっていた。
道路も大きく亀裂があり、道路も濡れていた。
そこでやっと、地震かもしれないと思い
ラジオをつけた。
「10時53分に震度6弱の地震が発生しました。
被害状況はまだ分かっていません」
と流れた。
二人で目を合わせて驚いた。
車に乗っていたせいか、そこまでの揺れを感じなかった私達は
事の重大さを思わずに、車の中で弁当を食べていた。
その時、携帯が鳴った。メールも鳴った。
「大丈夫?もう怖かったよ~死ぬかと思った。
お腹は大丈夫??」
と母上からだった。メールはマレーシアに住む友人からだった。
内容は地震があったから心配しているから無事だったら
返信して欲しいというものだった。
それでも事の重大さを分かっていない私達。(恥ずかしい)
弁当を食べ終わって妹のもんちゃん宅へ向かった。
途中、塀が崩れている家、瓦が道路に散乱している所もあった。
その途中にも携帯が鳴った。
「お姉ちゃん、今どこにいるの?!うちは食器棚から食器が落ちて
怖かったよ~お腹がパンパンに張ってもう産まれるかと思ったよ。
それよりも実家が大変だよ。食器も沢山割れて、家具も一部倒れているし、
みんなで手伝わないと片付かないよ」
と妹のまんちゃんからだった。
それを聞いた私達。
我が家が心配になりすぐに帰った。
有料道路が通行止めになっていたのでかなりの時間がかかった。
私達の2階の部屋では
トモシタが大事にしていたウイスキーが数本割れていたが、
食器などは無事だった。
片付けが終わって実家へと行った。
すごかった!
ほとんどの食器が割れて、足の踏み場もないぐらいに散乱していた。
母上はちょうど帰ってきた所だったらしくて、
呆然としていた。
妹や妹の旦那とでモクモクと片付けをした。
私は片付けをしながら母上が家に居なくてよかった~と思った。
母上も
「地震の時に家にいたら、もう怖くて住めなかった」
と泣き言を言っていた。
大きな地震は二度目の経験だった。
一度目は、阪神神戸大震災の時に福島にいた。
大きく揺れて雪崩が起きるのではないかと恐怖に思ったことを
覚えている。
そして今回。。。。。
地震が少ない、いえ起こらないと言われている九州で起こった地震。
これから先、何が起こるか分からない。
ノホホ~ンとしていて危機感がなかった数時間の自分に反省したい。
最後に・・・・
心配してくれた知人・友人達へ♪
ご心配をおかけしました。
ありがとうございました。皆様の心遣いに感謝いたします。
買物に行った。
買物とは。。。。
魚や野菜やお花の直販売所だ。
どれも安くてとても美味しい♪
10時前に家を出発した。
「今日はお天気が良いはずなのに、曇っているね~」
なんて言いながら、向かった。
野菜や果物を買って、ちょっと早いけど
弁当を食べる場所を見つけながらドライブをすることになった。
海がきれいに見える高台に上っている途中だった。
10時53分
運転していたトモシタのハンドルがフラフラとした。
私はすごい突風が吹いたかと思った。
その後すぐに山から石が落ちてきた。
トモシタが
「間一髪、石が落ちてくるところだった。
パンクしたかと思ったけど、大丈夫みたい」
向こう側に見える山のあちらこちらに
土砂崩れが起こった後の砂煙があがっていた。
地震とは知らずに
まだ高台へと車を走らせてた。
上がっていくと道路に亀裂があり、
石もたくさん落ちていたので途中で引き返した。
山を下りていくと
農業をしていた人達が集まっていた。
道路も大きく亀裂があり、道路も濡れていた。
そこでやっと、地震かもしれないと思い
ラジオをつけた。
「10時53分に震度6弱の地震が発生しました。
被害状況はまだ分かっていません」
と流れた。
二人で目を合わせて驚いた。
車に乗っていたせいか、そこまでの揺れを感じなかった私達は
事の重大さを思わずに、車の中で弁当を食べていた。
その時、携帯が鳴った。メールも鳴った。
「大丈夫?もう怖かったよ~死ぬかと思った。
お腹は大丈夫??」
と母上からだった。メールはマレーシアに住む友人からだった。
内容は地震があったから心配しているから無事だったら
返信して欲しいというものだった。
それでも事の重大さを分かっていない私達。(恥ずかしい)
弁当を食べ終わって妹のもんちゃん宅へ向かった。
途中、塀が崩れている家、瓦が道路に散乱している所もあった。
その途中にも携帯が鳴った。
「お姉ちゃん、今どこにいるの?!うちは食器棚から食器が落ちて
怖かったよ~お腹がパンパンに張ってもう産まれるかと思ったよ。
それよりも実家が大変だよ。食器も沢山割れて、家具も一部倒れているし、
みんなで手伝わないと片付かないよ」
と妹のまんちゃんからだった。
それを聞いた私達。
我が家が心配になりすぐに帰った。
有料道路が通行止めになっていたのでかなりの時間がかかった。
私達の2階の部屋では
トモシタが大事にしていたウイスキーが数本割れていたが、
食器などは無事だった。
片付けが終わって実家へと行った。
すごかった!
ほとんどの食器が割れて、足の踏み場もないぐらいに散乱していた。
母上はちょうど帰ってきた所だったらしくて、
呆然としていた。
妹や妹の旦那とでモクモクと片付けをした。
私は片付けをしながら母上が家に居なくてよかった~と思った。
母上も
「地震の時に家にいたら、もう怖くて住めなかった」
と泣き言を言っていた。
大きな地震は二度目の経験だった。
一度目は、阪神神戸大震災の時に福島にいた。
大きく揺れて雪崩が起きるのではないかと恐怖に思ったことを
覚えている。
そして今回。。。。。
地震が少ない、いえ起こらないと言われている九州で起こった地震。
これから先、何が起こるか分からない。
ノホホ~ンとしていて危機感がなかった数時間の自分に反省したい。
最後に・・・・
心配してくれた知人・友人達へ♪
ご心配をおかけしました。
ありがとうございました。皆様の心遣いに感謝いたします。