木犀の咲く季節になると闘病生活の区切りを感じます。

治療効果の指針となる5年生存率を達成できたら、とそんなことを密かに思っていました。

いやでも5年前の告知された日のことを思い出します。ちょうど、新型コロナ最盛期で診察を受けられず、どんどん醜く大きくなっていく胸に不安になり、診断を受けた時はやっと治療ができるとホッとしました。抗がん剤治療で、画像上は癌が消えた時、治ったと思ったけれど、2022年夏直ぐに脳に転移。 MRI 検査室から救急治療室に運ばれ、すぐに手術になりました。

手術と放射線治療で完全に取れたはずだったのに、2023年夏、放射線の後遺症で左半身麻痺とリハビリ。この時が今考えても一番きつかった。なかなか手強い相手だと再認識し、銀行口座を閉じたり遺書を書いたのもこの頃。

あれから転移、再発もなく、手術入院、救急車のお世話にもならず2年経ったのが奇跡のようです。

スイスでは経過観察や無治療というものがありません。

治療をやめれば、また悪くなっても保険は出ないそうです。とてもそのような怖い事はできません。

医療費は莫大でとても個人で払える額ではありません。医療と保険に感謝して過ごす毎日です。

3週間に1度の治療を淡々とこなしています。


2月には93歳になる義母のお誕生祝いにカナダに行ってきました。➖20°は流石に寒かったけど長女に会えたのはよかったです。義母はもう誕生日に呼ぶ友人がいなくなったと言ってましたが、一人暮らしは不安で大変でしょう。流石に腰が痛くて座れなくなったそうです。今回の私たちの滞在中は一度も外出しませんでした

老人ホームの入居も考えだした夫と義姉ですが、負けず嫌いで頑固な義母は受け入れないでしょう。

ただ子供や孫、娘たちができるだけ義母のそばにいて気晴らしになってくれたらと思っています。

今、次女が義母のご機嫌伺いと、長女のウエディングドレスの購入に付き合うためにカナダ訪問中です。長女がホームオフィスで仕事中は義母の所に行き、一緒にゲームをしているそうです。




長女の結婚式の計画を聞いてなぜか喧嘩になる私たち。何かにつけて「私は結婚式はしたくないけど、グランマとママのためにするんだから(言う通りにして)」という感じで。そこで「じゃあしなくていいんじゃない?」と言えない自分が歯痒い。


がん患者の気持ちの変化には次のようなものがあるそうです。

① 診断直後:衝撃・否認

② 不安・恐怖の増大

③ 怒り・混乱

④ 抑うつ(落ち込み)

私も、診断直後は事実を受け入れられなくて、心配してメッセージをくれる人や、私の治療に意見されること、私を理解してくれようとする人を激しく拒否していました。

私の気持ちなんて誰もわかってくれないと落ち込んでいたのもこの頃でしょうか?

家族はそんな私にしっかりと付き添ってくれました。

さて長女と言えば8月に結婚式をすると言うのに5〜7月までモロッコに出張と言います。幸いホームオフィスで仕事をしているフィアンセも同行できるようなので安心しています。好奇心旺盛な夫は、モロッコ観光の計画を立て始めています。

8月のカナダ訪問の経過を立てたり10月の沖縄訪問のための航空券を取り始めているところです。

こんなご時勢で果たして全ての旅行を遂行できるのか不安、不明です。


5年あれば生活習慣(運動や食事など)を改めるための十分な時間があったのではないでしょうか?

後悔しても免疫力は高まらないのでやめましょう。

これから、少しずつ変えていきます。

今は週一のピラティスと、週一のドイツ語学校に通って頭の体操をしています。

これまた放射線治療の影響で、認知機能と運動機能に問題があります。ドイツ語の方は、クラスを間違えたらしく、授業についていけず宿題に数時間かかるのでクラスを変えて貰いました。こちらも簡単なわけではなく、宿題は夫に手伝ってもらって、何とか付いて行ければ、と思っています。とにかくクラスでは落ちこぼれ、

ピラティスでも、体が言うことを聞かず、毎回講師から

「簡単なバージョン」をするように言われ落ち込んでいます。次女からは、全く歩くことも座ることも走る事もできなかったママがここまで動けるようになったのはすごいことだよ、と慰めてくれます。この悔しさがモチベーションになればとも思っています。

実は昨夜酢豚を作るつもりが

八宝菜を作り出し、最後に合わせ調味料を味見して酢っぱくないので慌てて酢を後から足しました。


この5年間を振り返ると、モグラ叩きのような闘病生活でした。闘病生活は不安と恐怖の連続ですが今の治療を続け来年もこうして総括できればと思っています。