あらかじめ、日蓮教学のある人を連れてくるように言っていたが、その方は風邪をひいてこられなく、日蓮正宗系顕正会会員三人が私を折伏するためにやってきた。 新興宗教屋さんの影像を見せるが、わたしにとっては、つまらないぎしき。

日蓮聖人の御書に下記のようにある。

 

【 人は臨終の時地獄に堕つる者は黒色となる上其の身重き事千引の石の如し善人は設ひ七尺八尺の女人なれども色黒き者なれども臨終に色変じて白色となる又軽き事鵞毛の如しなる事兜羅緜の如し。】とあるが、葬儀屋さんでないから、少ないが、黒くなり恐ろしい形相などは見たことがない。  まさか教祖浅井のじいさんは白ペンキのような顔色になったとも、思えないが?

 

遺体が硬直しないいつまでも柔らかいとしきりに言っていたが、遺体の変化というブログがあったので、掲載しておきます。
 

https://jf-aa.jp/column/column16.html

 

このようなことで、自分たちの正義だと、騒ぐ輩は、外道宗教。

 

相伝・信条部

本因妙抄 日蓮大聖人より日興上人へ伝 日亨訳 
百六箇抄 同  同 
産湯相承事 同  同 
御本尊七箇相承 同  同 
本尊三度相伝 同  同 
寿量品文底大事 同  同 
上行所伝三大秘法口訣 同  同 
三時弘経次第 同  同 

 

 

教学をほとんど知らない創価学会員達、彼らは日蓮大聖人より日興上人へ伝わるとされる興尊も知らない上記の、偽書でさわぎます。

 

例えば、三時弘経次第は、興尊の教えです。
その根拠は富士一跡門徒存知の事に下記のようにあります。鎌倉時代の東方の数百人程度の山のなか、御弟子さんたちは誰も、宗祖から法華経本門戒壇の地は定められていない。

一、本門寺を建つべき在所の事。 
 五人一同に云く、彼の天台・伝教は存生に之を用いらるるの間・直ちに寺塔を立てたもう。所謂大唐の天台山・本朝の比叡山是れなり。而るに彼の本門寺に於ては先師・何れの国・何れの所とも之を定め置かれず、と。 
 爰に日興云く、凡そ勝地を選んで伽藍を建立するは仏法の通例なり。然れば駿河国・富士山は、是れ日本第一の名山なり。 
最も此の砌に於て本門寺を建立すべき由、奏聞し畢んぬ。広宣流布の時至り、国主此の法門を用いらるるの時は、必ず富士山に立てらるべきなり。 



身延相承書  [総付嘱書]
 日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば
富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり、就中我が門弟等此
の状を守るべきなり。
= 弘安五年壬午九月 日    日蓮在御判
血脈の次第 日蓮日興



もし上記のような相承書があったのら、日興聖人は、富士山を本門戒壇の地に決めたのは、日興云くではなく、宗祖大聖人の遺言だとする。 

 

 目を覚まそう日蓮正宗系信者さんたち。  ちなみに、興尊は本門の寺 付属の弟子 上行菩薩 日蓮聖人。
冨士山 久成の釈迦仏 本化垂迹の師檀 末法。をたてている。  正宗系 大聖人本佛論は、外道インチキ宗教。


三時弘経次第
一仏法流布の次第

一正法千年流布 小乗 権大乗

一像法千年流布 法華 迹門

一末法万年流布 法華 本門

今ま末法に入つて本門を立てゝ国土を治む可き次第。

桓武天皇と伝教大師と共に迹化付属の師檀と為つて爾前を破つて迹門を立てゝ像法を利益し国土を護持する事之を図す。

迹門の寺 付属の弟子は 薬王菩薩 伝教大師。

比叡山 始成の釈迦仏 迹化垂迹の師檀 像法。

垂迹神 (天照太神八幡大菩薩) 桓武天皇。

今ま日蓮聖人は共に本化垂迹の師檀と為つて迹門を破して本門を立てゝ末法を利益し国土を治む可き之を図す。

本門の寺 付属の弟子 上行菩薩 日蓮聖人。

冨士山 久成の釈迦仏 本化垂迹の師檀 末法。

垂迹神 (天照太神八幡大菩薩) 当御代。
 

 

顕正会員の一人が、れいわの支持者だった、そのうち、ゆっくり彼らが、地獄に落ちないよう話をするつもり

 

合掌