大石寺法華講、創価学会、顕正会、正信会は、いずれも、26世日寛教義を踏襲している。 大石寺9世の日有が板本尊木刻した本尊を本門戒壇の唯一の本尊と無知な僧侶や会員に教えたり、日興聖人の教えを無視して、宗祖の本地仏である上行菩薩は「上行菩薩は迹」にしてしまう。上行菩薩というのは、霊山浄土の久遠実成本師教主釈尊から、末法での弘通をするように依頼され、本門八品に別付属され決められている元々の仏弟子ですから、本化の菩薩と言われる。

 

016 (coocan.jp)

 

賛文にはお釈迦様が隠しとどめた本尊を日蓮末法上行菩薩が出現して広めているという。直筆の本尊にまで宗祖は嘘はつくような方ではない。宗祖が久遠実成教主釈尊を信じていたから、娑婆即寂光土の教えを広めt。 霊山浄土には、釈迦、多宝、諸仏にお会いしようではないか、というのが、大聖人に教え、 三十二相八十種好を持っている 宇宙人そのものかもね。 現代的に考えれば 釈尊の真実の教えを証明するためにインドの霊山に、宝塔という光り輝く円盤が空中に現れ中に中にはミイラのような多宝如来、釈尊は神通力を使って宝塔の上座にに座す。

さらに、神通力を使って、弥勒菩薩等を虚空に引き上げ、説法が始まる。


大覺世尊御入滅後經歴二千二百二十余年雖尓月漢日三ケ国之間未有此大本尊或知不弘之或不知之我慈父以佛智隠留之爲末代殘之後五百歳之時上行菩薩出現於世始弘宣之

 

本化上行菩薩が嘘なら、宗祖の文字曼荼羅は全て役にたたない。

 

 


相伝・信条部
本因妙抄    日蓮大聖人より日興上人へ伝    
百六箇抄    同     同 
産湯相承事    同     同 
御本尊七箇相承    同     同 
本尊三度相伝    同     同 
寿量品文底大事    同     同 
上行所伝三大秘法口訣    同     同 
三時弘経次第    同     同 
富士一跡門徒存知事    日興上人記     同 

 

三時弘経次第次第は、宗祖大聖人の教えではなく、日興聖人の教え。  他の相伝書はすべて後世の正義面した、日有坊主のインチキ。大石寺お教えは日蓮仏法ではなく、日有仏法になっている。

 

日有あたりが、偽作した二箇相承を捨てられないからだよね。日有という坊主は宗祖日蓮を語って偽作したりとんでもない、坊主、それを簡単にみとめさらに踏襲する大石寺26世日寛。

 

日目の後を継いだ、高弟、日郷、日尊。日道

 

大石寺を継いだ日道の三師御伝からはもちろん、日有が偽作したような教えはまるでない。


日蓮聖人の云く本地は寂光、地涌の大士上行菩薩六万恒河沙の上首なり、久遠実成釈尊の最初結縁令初発道心の第一の御弟子なり。
本門教主は久遠実成無作三身、寿命無量阿僧企劫、常在不滅、我本行菩薩道所成寿命、今猶未尽復倍上数の本仏なり。
法を云へば妙法蓮華経の涌出寿量以下の十四品、本極微妙、諸仏内証、八万聖教の肝心、一切諸仏の眼目たる南無妙法蓮華経なり、弘通を申せば後五百歳中末法一万年導師なり

 

京都要法寺の祖ある日尊は広宣流布に先駆けて釈尊の脇士の十大弟子を除き、文字曼荼羅と同じ首題に釈迦、多宝、脇士は四菩薩像を建立された。 落ちぶれていった大石寺を立て直すのに 幕府にコネがあった、要法寺から日精法主を招き入れた。当然、仏像本尊を造立し、境内地を現在の地に移したり、活躍された。

 

日郷門流の小泉久遠寺と大石寺は70年間、水争いなどで,中が悪く、北山本門寺は小泉久遠寺を支持したようです。鎌倉室町時代は小泉久遠寺が保田妙本寺を兼任していた。 葬儀の時の引導に臨む当家引導雑雑記から

                             日繼


宝山とは霊山、諸商とは持経者なり、故に諸商とは法花の持者惣して一切衆生と云ふ義、如何にも商の字はアキンドと訓む惣して物売る人のことなり、うり物とは無明煩悩の悪業の事なり、かいてとは十方の諸仏の事なり、但し我等は釈迦一仏と心得べきなり、経に云はく今此三界皆是我有○唯我一人能為救護。


一、位牌の事。
自他宗之れ同し、示した云はく位牌とは宝塔なり多宝如来の扉を閉ぢたまふ時を表するなり、首題を書き顕はす事は釈迦の地を表し、孝子集つて回向を致すは分身を表するなり、釈迦多宝は法身を表すと云云。

同じく記者不明だが
引導秘訣には

十七、曼荼羅の事。
是れ即冥途の挙状なり例せば世間に挙状あれば故無く通るなり、但し挙状偽り有れば叶はず、其の如く権教の偽の挙状は叶はざる者なり、されば実教の真実の漫荼羅は何の愚か有るべきや、依つて経に云はく為説実相印文、是れ釈迦法王の印判と云ふ意なり、漫荼羅授与の時深く此の旨を思ふべし、又衣と唱ふる大事も之れ有り。
 

廿一、総勘文。
示して云はく妙法蓮華経五字は十方諸仏の悟の内証を五百塵点より観顕し給ふ釈迦観法の妙法なりと心得て、無二の信心をはげます処が即当宗真実の観心なり、是れを軽んずるを高慢と云ふ此義を深く知るを仏果内証と云ふ、此の義を常に胸に当つべきなり秘すべし秘すべし。

 

宗祖の名を語って嘘の教えを画策する日道以後の大石寺日有。日有の嘘を見破られぬ日寛教、正信会も、大石信徒も顕正会も創価学会も全て日興聖人の教えに違背している。もちろん、大聖人の教えにも背く。  

 

大作は、長い間姿を見せていなかった。 廃人のような老死を迎えたと思われる。 大作の遺骨の墓がどこに葬られたのか信者には、知らない。

 

少なくとも、大作の霊が、釈迦、多宝諸仏が居られる虚空の霊山浄土には往生することはない、日有が木刻し日寛が推奨した、板本尊の重みでこれからも、死後も、気の毒だけれど大石信徒さんは、死後も苦しみ続ける。  暴れる像に踏み殺されより、正義面する悪師を恐れないとね。末法には悪師、悪僧がでてくる。

 

命に合掌