吉永小百合さんを例に挙げましたが、人間だけでなく、物にも言えます。

例えば現在私が使っているPC、PCとしての【体】としての姿【相】があり、すでに、多くのデータを処理するという性質【性】があり、処理したデーターを電気信号に変換するという【力】をもっている。さらに電気や液晶、スピーカーを【縁】として多くの人に、私の意思を伝える【作】という働きを持つ。 このことが縁となって、少しでも日蓮聖人の教えを深める事ができたという【果】や【報】を生む。

ようするに、十如是は物にも言える。

 

物だけでなく精神とか、心とか、死後の世界とか目に見えないことにも、十如是は言える。

 

例えば環境問題が深刻です。 環境によって、私たちの心身が影響を受ける。  環境、国土にも影響力や作用がある。逆に私たちが環境を変えてしまうこともある。つまり、お互いに力となり作用をおよぼし、互いに因となり、縁となって果y報いを生む。

これら全部ひっくるめて、三種の世間という。

 

三種の世間とは【衆生世間】人や動物等、生あるもの

【五穏世間】色、受, 想、 行、識 の事で人の肉体と精神を五つの要素に分類したもの

 

【国土世間】衆生が居住する環境、国土

 

これらの三種世間にも十如是が当てはまるから、千如是×三で、ここで、三千世界が表現される。  三千とは、宇宙の森羅万象すべての事象を三千といった。  時間的には過ぎた過去も、現在も、未来もたった、二文字で示される。私たちの日常の一刹那の一念の中に三千が具足されている。

 

電気がなかったら、現在こうして自身の思いを発信することができない。電灯を発明したエジソンがいなかったら、今の一瞬の私たちは別の形になっていたかもしれない

。つまり今の一瞬のなカニも、亡くなっているエジソンは存在している。

これらは、理論ですから天台大師のように、高度な瞑想でしか、大きな悟りは、得られない。 創価学会いんさん、宗祖、大聖人の一念三千は十如是が中心ではないですよ。  素直に日蓮正宗日寛教学は捨てないと、お尻の毛までむしり取られる。

 

南無妙法蓮華経はナンではないよ、しっかり南無ナムしようね。

 

命に合掌