学会は大石寺の板本尊を特別な本尊とはしないとして、太作先生の教えと違うとなって学会内部では揉めているようだ。  かつて太作は大石寺の板本尊に縁しない輩は邪宗だ、日蓮宗は、邪宗だとさわいでいた。今も、学会員、顕正会 大石寺の法華講のかたの中にも、他門流は邪宗だと、井の中のかわず、状態で吠え泣きわめく。

宗祖はもちろん、富士門流の祖である日興上人もしらない。日目大石寺は、揉めたようだが、日道が継いだ。彼の書にも板切れ本尊なんて出てこない。 外道日寛から離れられないと、慈悲の心は生まれないようだ。

 

大石寺は、興尊の教えにない、お釈迦様を捨て、日蓮聖人を本佛にたてる。

 

一切衆生に対して、慈しみの心、敬いの心、感謝の心を以て、自分と同じような心を持ってくれることを望んでいます。 

 

 

大石寺板本尊【名著の気になる一節 】松本勝彌氏 著・訴訟 ...

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大石寺17世の日精は。落ちぶれた大石寺の再建の為、要法寺から遣わされ、幕府の要人から援助を受けて、現在の大石寺に移築された,大石寺にとっては大事な方のはず。除名もなにも、釈尊像を造って信徒さんに拝まさせていた、事実はかわらない。

要法寺というのは、日目上人の弟子の日尊が建立された寺です。

 

一、久成の釈迦造立有無の事。
日興上人の仰に云はく末法は濁乱なり三類の強敵之れ有り、爾らば木像等の色相荘厳の仏は崇敬憚り有り、香華燈明の供養も叶ふべからず、広宣流布の時分まで大曼荼羅を安置し奉るべき云云、尊の仰に云はく大聖人の御代二箇所之れを造立し給へり、一箇所は下総の国市河真間富木の五郎入道常忍みそ木を給て造立す、一所は越後の国内善の浄妙比丘尼造立して之有り云云、御在生に二箇所なり、又身延沢の仏像等は聖人没後に様々の異義之れ有り記文別紙に之れ有り云云、惣じて三箇所之れ有り此れ等は略本尊なり、但し本門寺の本尊造立の記文相伝別に之れ有り云云、予が門弟相構えて上行等の四菩薩相副え給へる久成の釈迦略本尊、資縁の出来、檀越の堪否に随つて之を造立し奉り広宣流布の裁断を相待ち奉るべきなり文然れば則ち日大は立像は是れ日尊の本意に非ずと、日印は東国に在りて上洛の次でを以つて之れを日代に告げ玉ふなり、日代未だ日尊の本意を知り玉はず蓮祖の遺言の故事を挙げて日尊一旦の義を破し玉ふなり、日尊後日に十大弟子を除きて二尊四大菩薩を造立するなり

 

●興尊は、広宣流布の時分まで大曼荼羅を安置し奉るべき云云

 

一、寂仙房日澄、始め盗み取つて己が義と為す。彼の日澄は民部阿闍梨の弟子なり。仍つて甲斐国下山郷の地頭・左衛門四郎光長は聖人の御弟子なり。御遷化の後民部阿闍梨を師と為す(帰依僧なり)。 
   一、去る永仁年中・新堂を造立し一躰仏を安置するの刻み、日興が許に来臨して所立の義を難ず。聞き已つて自義と為し候処に正安二年民部阿闍梨彼の新堂並びに一躰仏を開眼供養す。爰に日澄・本師民部阿闍梨と永く義絶せしめ日興に帰伏して弟子と為る。此の仁・盗み取つて自義と為すと雖も後改悔帰伏の者なり。  
   一、去る正安年中以来・浄法房天目と云う者有り(聖人に値い奉る)。日興が義を盗み取り鎌倉に於て之を弘通す。又祖師の添加を蔑如す。 
 一、弁阿闍梨の弟子・少輔房日高、去る嘉元年中以来、日興が義を盗み取つて下総の国に於て盛んに弘通す。 
   一、伊予阿闍梨の下総国真間の堂は一躰仏なり。而るに去る年月、日興が義を盗み取つて四脇士を副う。彼の菩薩の像は宝冠形なり。 
 一、民部阿闍梨も同く四脇士を造り副う。彼の菩薩像は比丘形にして納衣を著す。又近年以来諸神に詣ずる事を留むるの由聞くなり。  一、甲斐国に肥前房日伝と云う者有り(寂日房向背の弟子なり)。日興が義を盗み取つて甲斐国に於て盛んに此の義を弘通す。是れ又四脇士を造り副う。彼の菩薩の像は身皆金色・剃髪の比丘形なり。

 

原殿の書に合ったように、釈迦佛の脇士に四菩薩を俺の教えだというが、宗祖は多くの書から仏像での本尊を望んでいた。

 

興尊を支えた教学者の日順上人は下記のように、話されている。日尊は広宣流布に先駆けて仏像本尊を造られた話と符合する。

 

行者既に出現し久成の定慧・広宣流布せば本門の戒壇其れ豈に立たざらんや、仏像を安置することは本尊の図の如し・戒壇の方面は地形に随ふべし、国主信伏し造立の時に至らば智臣大徳宜しく群議を成すべし、兼日の治定後難を招くあり寸尺高下注記するに能へず。

 

折伏は不軽品のようにと宗祖は開目抄でいわれている。あんたの信仰は間違った邪宗の教えだというまえに、自身が不軽菩薩のようにふるまわないとね。あなたを敬います

あなたは、仏様になられる方です。

 

都会っぺの私ですが、宮沢憲治のように、でくのぼうと呼ばれたい。

でくのぼうは不軽菩薩そのもの

 

南無妙法蓮華経

 

命に合掌