■日興上人は師の死後、身延山に9年間住して法を弘めたが、地頭の波木井実長の正法に対する謗法により、山を追われることになった。


日目上人の後を継がれた日道の書の三師御伝 日興上人は大聖御遷化の後身延山にて弘法を致し公家関東の奏聞をなして三ケ年が間身延山に御住あり

どちらが、正しいのか これは。明らかな偽書2個の相承書によるものでしょう。

 

身延相承書
身延相承書  [総付嘱書]


 日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば

富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり、就中我が門弟等此

の状を守るべきなり。

= 弘安五年壬午九月 日    日蓮在御判

血脈の次第 日蓮日興

 


池上相承書
池上相承書  [別付嘱書]

 釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す、身延山久遠寺の別当たるべきなり、背く在家出家どもの輩は非

法の衆たるべきなり。

= 弘安五年壬午十月十三日  武州池上

このようなデタラメ丸出しの書を考察する

 

臨終を前に門弟たちが見守っているなかで宗祖が遷化された数時間朝に相承書を書いたという、そんなに元気なら、すぐには死なない。  富士一跡門徒存知の事は宗祖の教えに対して正しいかただしくないかは、べつにして日興の考えに近いとおもわれる。
 

五人一同に云く、彼の天台伝教は存生に之を用いらるるの間直に寺塔を立てたもう、所謂大唐の天台山本朝の

比叡山是なり而るに彼の本門寺に於ては先師何の国何の所とも之を定め置かれずと。

 爰に日興云く、凡そ勝地を撰んで伽藍を建立するは仏法の通例なり、然れば駿河国富士山は是れ日本第一の名

山なり、最も此の砌に於て本門寺を建立すべき由奏聞し畢んぬ、仍つて広宣流布の時至り国主此の法門を用いら

るるの時は必ず富士山に立てらるべきなり。


このようなアホ偽書が宗祖の遺言なら、日興日くでなく、大聖人の遺言だとする。一人血脈なんてものは、宗祖にも。日興上人にもないよ、 神社には、悪鬼が怖いから逃げ回るのが、富士門流が多い、法華経の行者のゆくところには、悪鬼を追い出しぜ善神が、守護してくれる、日蓮聖人は仏が先なら、神社参拝はみとめていた、真言の八幡宮にも誠の神か、お釈様との約束を果たせとしかりとばした法華の行者は悪鬼が怖く逃げまどってはだめ、日興は北山本門寺に本堂、祖師堂、天照大神垂迹堂の三堂を造立されたと伝えられている、

 

 

命に合掌