正宗も創価学会も、法華経寿量品の釈迦仏を本師、本仏としないで日蓮聖人を本仏としてしまいそのうえ、仏像での本尊は認めない。 鎌倉時代にはなかった、室町以降の後世の者たちが彫った10月12日の願主弥四郎国重と彫り込まれている板本尊を唯一戒壇の本尊とする、およそ、鎌倉時代には、日興門流、には、なかった、デタラメ教義です。

 

三師御伝土代 (mitene.or.jp)

 

 

日興は宗祖に習って六人の弟子、さらに新六人の弟子に教えが広まることをたくした。

 

日蓮聖人の云く本地は寂光、地涌の大士上行菩薩六万恒河沙の上首なり、久遠実成釈尊の最初結縁令初発道心の第一の御弟子なり。
本門教主は久遠実成無作三身、寿命無量阿僧企劫、常在不滅、我本行菩薩道所成寿命、今猶未尽復倍上数の本仏なり。
法を云へば妙法蓮華経の涌出寿量以下の十四品、本極微妙、諸仏内証、八万聖教の肝心、一切諸仏の眼目たる南無妙法蓮華経なり、弘通を申せば後五百歳中末法一万年導師なり

 

残念ですがお釈迦様の弟子の日蓮聖人を本仏に、してしまう、明らかに法華経をないがしろにしてしまう。法華経誹謗の徒に成り下がっている。法華経誹謗の徒は無間地獄かも。

 

日興上人御遺告、元徳四年正月十二日日道之を記す。

一大聖人の御書は和字たるべき事
一鎌倉五人の天台沙門は謂れ無き事
一一部五種の行は時過たる事
一一躰仏の事
一天目房の方便品読む可らすと立るは大謗法の事

 

 

●天目房の末裔は現在の在家教団の本門仏立宗です。

● 脇士なき一体の仏を本尊と崇るは謗法の事。
小乗釈迦は舎利弗目連を脇士となす権大乗迹門の釈迦は普賢文殊を脇士となす、法華本門の釈迦は上行等の四菩薩を脇士となす云云、一躰の小釈迦をば三蔵を修する釈迦とも申し又頭陀釈迦とも申すなり、御書に云く劣応勝応報身法身異なれども始成の辺は同しきなり、一体の仏を崇る事旁々もつて謂はれなき事なり誤まりが中の誤まりなり。
 

興尊は釈尊の脇士が上行等の四菩薩ならば、仏像本尊として認めてい釈迦仏の仏格をおもんじた。本尊造乱と騒ぐ輩は、大聖人はもちろん、興尊の教えにも背く。

 

● 一部八巻の如法経は末法に入つて謗法となるべき事。
神力品に云く上行菩薩の御言に我等亦是の真浄の大法を得て受持読誦解説書写してこれを供養せん云云、又云く要を以て之を言えば、如来の一切の所有の法、如来一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す是の故に汝等如来滅後に於て応に一心に受持読誦解説書写して説の如く修行すべし文、末法には五字に限り修行すべしと見たり、取要抄に云く日蓮は広略を捨てゝ肝要を好む所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経是れなり

 

 

受持読誦解説書写と法華経には説かれています。

正行である唱題行も法華経の受持のため、読誦解説書写も助行としての、法華経の受持のため、宗祖の教えは、受持成仏が基本。 

 

● 鎌倉五人の天台沙門は謂れ無き事

日朗上人去る正中の頃冨士山に入御あり日興上人と御一同あり、実に地涌千界の眷属上行菩薩なり、御弟子にてまします貴とむべし

 

 

とうぜん、鎌倉の日郎門流は大聖人のお弟子であり、地涌千界の眷属上行菩薩と興尊は認めていた。

 

 

※ 只偏へに釈迦如来の御神い我か身に入りかわらせ給ひけるこそ、わが身ながらも悦ひ身にあまれり、法華経の一念三千と申大事の法門はこれなり

 

本門教主は久遠実成無作三身、寿命無量阿僧企劫、常在不滅、我本行菩薩道所成寿命、今猶未尽復倍上数の本仏なり

 

劫という時間の長さははかりしれない。

 

お釈迦様の寿命は今もつづいている、 それを証明するために、宗祖の門弟は娑婆世界でお釈迦様に成り代わって、菩薩道を実践する。

 

残念ながら悪師に騙された方は、正法に帰することしか、すくわれない。

 

※日興上人の御弟子駿河国冨士の郡り熱原より二十四人鎌倉え召れ参る。一々に搦め取て平左衛門が庭に引据たり、子息飯沼の判官馬と乗小蟇目を以て一々に射けり、其庭にて平の左衛門入道父子打れり法華の罰なり、さて熱原の法華宗二人は頚を切れ畢、その時大聖人御感有て日興上人と御本尊に遊ばすのみならず

 

とある、室町時代に日有あたりが板切れに彫ったと私は思っている。 8月に新田四郎の子の弥四郎が殉死された。法華経本門の戒壇を願った弥四郎国重と法華宗等の49日の法要の為宗祖が文字で書かれた。  どこにも、宗祖が本尊を彫ったという記述は出てこない。

 

命に合掌