人は助け合って生きているといっても、他をを動かすためにはある程度先立つ物は必要です。 家族を助けるためには、仕事という収入を考えて生活の基盤になる。ただ仕事というのは、お客様に仕える。上司に仕えるといった具合に,仕える事は。自分の思い通りにならないことが多い。 思い通りになるときは、仕事も楽しくて仕方がない事もあるが、つまずいた時には辛く苦しい思いをする方もいるでしょう。

趣味などの為の私事(シゴト)もあるでしょう。  

 

私は義母との縁によって、人として一番大事な使事(シゴト)を自然とみにつけました。 私は法華経を受持する信奉者ですから、在家の身であっても当然日蓮聖人に続き、釈迦如来に仕える使者としての、自分だけでなく、利他の為の菩薩行という使事をするためにこの世に生じてきたと感じています。

 

妙法蓮華経の実践とは、菩薩行が主体です。法華経の25番目の観世音菩薩品も、自分自身がが如来に使える観世音菩薩の境地にたって、苦しんでいる人たちの周囲の声を聴く。  人は弱いですから、時には観音様助けて下さいとなるが、法華はそのように、教わってきません。

 

私を導いてくれた、婆、そして、大事な妻を失ったが、生じてきたものは、いつかは、必ず死ぬ.受け入れるしかありません。大切な人に恥じない最後の生き方を私はあえて、雪深い限界集落に移住を始めました.  縁があって、十数年前に古家を購入し、今は少しづつ、改築し遊んでいます。

 

村の人たちが農作業の休憩所夜は囲炉裏を囲んでカラオケも考えています。

七輪付きのテーブルとイスを用意しました。 私が不在でも集落の人たちが使えるように、屋外のトイレも設置しました。  素人の私が野菜を作るよりも、電気、水道。遊楽する処を提供し、共に楽しく遊ぶところが、娑婆即寂光土です。 街から遊びに来る方も、笑い声の絶えない手ぶらで楽しめるような、田舎暮らしをします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

合掌