日興上人と他の五老僧との神天上についての立正安国論の読み方の違いを原殿御返事の書からお話ししましたが、他にも、下記のように興尊は話されています。
此れのみならず、日蓮聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来の画像は一二人書き奉り候えども、未だ木像は誰も造り奉らず候に・・・・・
それも其の仏は上行等の脇士も無く始成の仏に候いき、其の上其れは大国阿闍梨の取り奉り候いぬ、なにのほしなさに第二転の始成無常の仏のほしく渡らせ給うべき。御力契い給わずば、御子孫の御中に作らせ給う人出来し給うまでは、聖人の文字にあそばして候いしを安置候べし。
● ここではっきり、日蓮聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来といわれています。 学会員が掲げるような悪魔の教えの日蓮本仏論も、戒壇の板本尊もでてこない。
大聖人の形見分けで、註法華経は日昭上人に宗祖が本尊とされていた、釈迦立像は日郎上人に日興上人には陣羽織、日向上人には、馬があたえられた。
波木井実長は、日郎上人が釈迦仏像を持って行ってしまったから、あらためて、釈迦仏像を建立したが、日興上人は一体の仏では久遠実成の釈迦如来を表せないから、脇士に上行菩薩像等の四菩薩像を安置しなければならない、それには、お金がかかるから、御子孫の中で余裕ができるまでは、大聖人が書かれた文字曼荼羅を掲げておきなさいと指示をされています。 日興上人はここでも仏像での本尊は否定されていません。 当然、当時の身延山には、大石寺や学会が言われるような、板戒壇本尊なんてものは、鎌倉時代にはなかった。 そのような板切れを唯一の本尊だと信じているようでは、日蓮門下ではない。
日蓮聖人の御法門は、三界の衆生の為には釈迦如来こそ初発心の本師にておわしまし候を捨てて、阿弥陀を憑み奉るによつて五逆罪の人と成りて、無間地獄に堕すべきなりと申す法門にて候わずや、何を以つて聖人を信仰し進らせたりとは知るべく候。
大石寺法華講や創価学会信徒は三界の衆生の為には釈迦如来こそ初発心の本師を捨てて、日蓮聖人を本仏としてしまう日有教。 これは仏教の五逆罪どころの話ではない。 大石信徒は残念ながら悪師に洗脳されていて、教学がなさすぎる。
インチキ宗教から離れて、日蓮聖人の教えにもどりましょう。
南無妙法蓮華経
命に合掌
