昨日まで伯父、叔母が知床に住んでいる関係で子供孫姪等総勢12名でレンタカーを借りて道東を中心にした旅行に行ってきました。 ウトロの海難事故の犠牲者の冥福を日蓮宗寺院があったので、塔婆供養をさせて、いただきました。 国後島を目前にした神社にも参拝してきました。伯父叔母は浄土真宗のお寺ですから冥福を祈ったり、塔婆を建立し、供養することはありません。 

 

本日は六斎の甲子にあたり最高の吉日にあたるので、社員にも、健康と功徳が行き渡るように早めに仕事を終えて北海道から届いた海産物をいただく事を中心に楽しく供養しました。  大石寺9世の日有という僧侶が、大聖人の教えはもちろん、日興上人の教えまで踏みにじっている。明らかに、教えが変わっているのに、変えようとしないで、インチキ出鱈目を信者に教え、洗脳をする。 

 

 日興上人御遺告には

一鎌倉五人の天台沙門は謂れ無き事とあり、 単なるうわさだと言われています。

一、日朗上人去る正中の頃冨士山に入御あり日興上人と御一同あり、実に地涌千界の眷属上行菩薩なり、御弟子にてまします貴とむべし●●。 ですから、日郎上人が晩年に富士に立ち寄られ誤解もとけたのでしょう。大聖人に続く、地涌千界の眷属上行菩薩なりといわれています。

 

 日蓮宗、法華宗は当然、京都でもどこでも、天台宗ともぶつかり合って、法論を重ねてきて、今日があります。

 

只偏へに釈迦如来の御神い我か身に入りかわらせ給ひけるこそ、わが身ながらも悦ひ身にあまれり、法華経の一念三千と申大事の法門はこれなり と言われています。 文字であろうと絵であろうと、仏像だろうと、対鏡として拝し自身の心の中に本師、本佛であるお釈迦様との合一するのが、事の一念三千です。  

日蓮聖人は「真間釈迦佛御供養逐状」の中で 「大黒天を供養してからは安楽に過ごしていらっしゃいますか?・・・」と挨拶されて開眼供養もなされています。「大黒天神供養相承事」では「大黒天神を信ずる者は、現世安 穏・福祐自在、疑なし。毎月毎日信ずること成り難き者は、六斎の甲子(60日に一度ある大黒天の縁日)に、供物を調え、御祭祀あるべき者也。是れ秘中の秘 なり」と大黒天を福の神様として供養することを勧めております。  最澄さんの神仏習合の教えを日蓮宗は踏襲しています。神仏習合ですがもちろん、仏教徒は仏法僧の三宝を先に重んじます。仏教ですから 三宝をないがしろにした、神様信仰はありません。

 

日興上人は教えが厳格すぎた為に、ある意味融通が利かなく、富士一門の寺が分裂を重ねていったことが一つの原因かもしれません。

 

 

日興上人は大聖御遷化の後身延山にて弘法を致し公家関東の奏聞をなして三ケ年が間身延山に御住あり

 

大聖人が遷化されてから、身延山で100日法要の後六老僧は、ひと月交代。中老僧は2名の総勢18名の老僧を中心に輪番が始まったが、実質3回忌までぐらいしか続かなかったようです。 

 

創価学会などは、先祖が祀られてきた、神棚などを燃やしてしまったり、神社のお祭りなどにも抵抗があるようです。

次回は大聖人と神について、お話ししたいと思います。

 

南無妙法蓮華経

命に合掌