観心本尊抄は日蓮聖人が自ら「当身の大事」といわれ、書かれた書物の中で最も重要な書です。またその年の七月八日に大曼荼羅ご本尊をご図顕されました。この五重三段は、先の開目抄の五重相対のように相対する教えを比較対照し選ばれなかった一切の教えを序分・正宗分・流通分の三段に分けていきます。序分というのは今でいう序論にあたります。正宗分は本論にあたります。流通分は応用論あるいは実践論といったところです。一切の教え、一切の価値観等を妙法蓮華経の五字の序論とし、応用論として南無妙法蓮華経と実践するのです。先の五重相対によって切り捨てられた一切の教えや価値観というものを、この五重三段によって蘇生させ、生かしていくわけです。いわば、五重相対の批判原理から五重三段によって再生原理をするわけです。
序分 「十方三世諸仏微塵の経々」ですから、今でいう宇宙法界すべての教えや価値観
正宗分 「寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字」-『観心本尊抄』より
この書からは流通分はあえて、言われていませんが、
流通分は、 『報恩抄』にあるように「南無妙法蓮華経は万年の外、未来までもながるべし」 ですから、法華経の方便品なども生かしてゆきます。 日蓮聖人は密教に精通されていた方ですから、宗祖が示された曼荼羅には、日月神として、愛染明王、不道明王が梵字で双竜のように、書き表されています。法華経からは出てこない大日如来や、十方諸仏は久遠実成釈迦如来の分身仏という解釈です。御祈祷も日蓮宗では盛んです。
http://juhoukai.la.coocan.jp/mandara/018.html
法華経の説法の前に、多くの僧侶たちが離れてゆきましたが、仏陀は止めませんでした。 また仏陀から付属されたものは、法華経の本門14品から21品の本化の菩薩に別付属された者たちです。 嘱累品第二十二ではすべての菩薩に付属されています、だから称名念仏の方々は俺たちは高度な教えでなくても良い法華経は無理だという感じで言われる方もいますが、遷化される最後の一日を仏陀は涅槃経を解きました。そこには、仏陀の遺言として「法によって、人によらざれ」依法不依人が説かれました。 日蓮聖人は仏陀の教えの法を介して釈子として、末法の衆生に下種をされています
親鸞さんは歎異抄の中で法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候」といわれています。 天台のよう観想念仏でない方は、やはり人ではなく経典から、考えていただければよいと思います。 私の菩提寺には浄土宗や浄土真宗、禅宗の僧侶が説法をされてゆきます。 面白い話や良いこともお話しされ、仏教の勉強になります。
合掌
