創価学会は

釈迦が本仏であり、日蓮聖人は釈迦仏法による民衆救済を本懐とされたというのか。まことに 浅識な論断である。

池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P65
「われわれは釈迦仏教に縁のない民衆であることを
 知らねばならない」

 

でたらめ、お金儲けが上手な悪師教祖の池やん SNSの時代だから恥ずかしくて世に出られない、それとも、麻原みたいにおしめでもしているのかな♪

 

日蓮聖人の教えも理解できない、大石僧侶等にひきつられているかわいそうな大石寺法華講や創価学会員のかた、鎌倉時代に日目の後を継いだ、日道上人が日興上人御遺告として、

本門教主は久遠実成無作三身、寿命無量阿僧企劫、常在不滅、我本行菩薩道所成寿命、今猶未尽復倍上数の本仏なり。 と言われているよ。

 


http://www.mitene.or.jp/~hokkekou/yousyuu/yousyuu5_1.htm 

 三師御伝土代 
 

頭から下記のように日蓮聖人はもともとは,釈尊のお弟子の上行菩薩だと言われている。本地とはもともとという意味です。 

 


「日蓮聖人は本地是れ地涌千界上行菩薩の後身なり、
日興上人御遺告、元徳四年正月十二日日道之を記す。
一天目房の方便品読む可らすと立るは大謗法の事

天目房の末裔が現在の本門仏立宗になっています。  日蓮宗は五種法師の教法の内お題目が末法での正行で経を読んだり暗記したり解説したり書写することも全て法華経受持の為の助行としています。  


一大聖人の御書は和字たるべき事
一鎌倉五人の天台沙門は謂れ無き事
一一部五種の行は時過たる事
一一躰仏の事


日蓮聖人の云く本地は寂光、地涌の大士上行菩薩六万恒河沙の上首なり、久遠実成釈尊の最初結縁令初発道心の第一の御弟子なり。
本門教主は久遠実成無作三身、寿命無量阿僧企劫、常在不滅、我本行菩薩道所成寿命、今猶未尽復倍上数の本仏なり。
法を云へば妙法蓮華経の涌出寿量以下の十四品、本極微妙、諸仏内証、八万聖教の肝心、一切諸仏の眼目たる南無妙法蓮華経なり、

日蓮聖人や門下の日昭上人は比叡山で授戒を受け、阿闍梨の位まで授かった方で、当時は天台法華宗本門派とか日蓮派と言われ、比叡山から宗祖が独立したとは聞いていない。

 

当然、観想で悟るような法華経ではなく、経文通り法華経への信により、仏智をいただくのが、日蓮門下の教えだから、天台宗の教法とは明らかに違います。

 

一、脇士なき一体の仏を本尊と崇るは謗法の事。
小乗釈迦は舎利弗目連を脇士となす権大乗迹門の釈迦は普賢文殊を脇士となす、法華本門の釈迦は上行等の四菩薩を脇士となす云云、一躰の小釈迦をば三蔵を修する釈迦とも申し又頭陀釈迦とも申すなり、御書に云く劣応勝応報身法身異なれども始成の辺は同しきなり、一体の仏を崇る事旁々もつて謂はれなき事なり誤まりが中の誤まりなり。
仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内、未曾有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊に背く意は罪を無間に開く云云、何そ三身即一の有縁の釈尊を閣きて強て一体修三の無常の仏陀を執らんや、既に本尊の階級に迷う、全く末法の導師に非るかな。

 

 

日興上人は単立の釈迦仏像は駄目よ、久遠実成本佛釈尊を示すには、脇士である上行等の四菩薩像を安置しなさいといわれている。 上行等の四菩薩像を安置すれば、日興上人は、認めている。  日蓮聖人は一体の釈迦像でも、造立する方を喜ばれていた。 たとえ一体のお釈迦様の仏像でも、地涌の端くれとして、本佛として私は拝することができる。

 

どこから、インチキ戒壇の板きれ本尊がでてくるのかな?  板切れ本尊が


無智悪人の国土に充満の時は摂受を前きとす。安楽行品のごとし。邪智謗法の者の多き時は折伏を前きとす。常不軽品のごとし。
 

汝早く信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよ。しかればすなわち三界は皆仏国なり。仏国それ衰えんや。十方は悉く宝土なり。宝土何ぞ壊れんや。国に衰微なく土に破壊なくんば、身はこれ安全にして、心はこれ禅定ならん。

 

上記が正しい折伏  自分たちが、日蓮聖人や日興上人の教えから離れているのに、他門流を邪宗としてはまずいですよ♪

 

お釈迦様の我本行菩薩道所成寿命が今も滅していないつづいている、だから日蓮聖人に続いてこのことを証明する為に人々に対して菩薩道の道を歩むのです。

南無妙法蓮華経

命に合掌