仏陀が説かれた八正道とは、

正見・正思・正語・正行・正命・正精進・正念・正定の方法です。これらすべての方法に「正」の字がついていますが、「正しい」とは「真理に合った」・「調和のとれた」考えや見方、行動をさし、小我「自分本意」にとらわれて、自分自身を過大評価し、不平・不足・不満などの苦の種をつくらない大きな立場で物事を判断できる人間となる事を示す道として解き明かしたものである。また、ものの見方には現象に現れた差別の見方や前記した大きな立場からの「平等だけの見方」のどちらに偏っても正しい見方とはいえないのです。

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なぜ平等ではダメなのかというと、物の本質として現象に千差万別の差別の実相を現すには、それなりの原因や条件があり理由があり無視する事はできないからです。   差別の見方にも偏よらず平等の見方にも偏らない、両者を総合したとらえ方が本当の「正しい」見方やとらえ方で、これを仏教では「中道」といいますが、これは一方に片寄らない、真ん中という意味ではなく、その時々の真理の条件・立場に合った最善の方法の見方や考え方で、法華経の妙を示します。

 

八正道の内でどれも大事なのですが特に最初の正見が一番大事だ、正しい物の見方が私たちの生活の中に活かされたら、きっと、幸せな人生に近づきます。

 

例えば、会社組織の中で、自分は上司より仕事をし、会社に貢献している、なのに、上司は威張ってばかりで、遊んでばかり、給料も沢山もらっている。

こういうことがあると、仕事が面白くない、やる気が出ない、こういうことは世間によくあることで、もしかしたら、小我という自分本位の考えに偏ってしまっているかもしれません。

大きな物の見方の中道の考えは、

 

上司は確かに、仕事をしていないが、なぜか、取引先から、信用されていて、仕事を受注してくる。

残念ながら、自分には取引先からの信用がまだ足りない。  こう思えれば、得意先から信用されるように努力をします。

努力が実った時、 あの時、威張ってばかりの上司がいたからこそ、自分はお得意様からも信用されるようになった。

威張ってばかりだと思っていた、上司さん、ありがとう。

 

不景気でコロナ禍、これから、さらに値上げ値上げで、苦しいことが、現実に現れることを経験するでしょうが,辛く、苦しいことを経験することで、大きなものの見方ができるようになる。  登山のようなもの、頂上に近づけば、近づくほど勾配が急になり、つらいが、しっかり、一歩一歩登れば、必ず、努力は報われ、今までみたことがない、景色を味わうことができる。

 

6月5日の浄心道場は、浄土宗の僧侶さんで、おてらおやつクラプを最初に実施された方だと聞いています。

オンラインでも参加できます。  おやつが食べられない子供さんをお世話されている方たち、お寺を頼ってください。

助けてといっていいんだよ

講師浄土宗安養寺/認定NPO 法人
おてらおやつクラプ代表理事
松島靖朗

 

心みがきの浄心道場 | 日蓮宗宗門史跡 名瀬 妙法寺 - 公式サイト (myouhouji.jp)

 

 

命に合掌