誕生日が自分の日だと一般的には思われているが、 法華の信者の水戸光圀、黄門様は誕生日は母上が一番苦しまれた日であって、母親に産んで頂き、ありがとうという感謝をする日だと言われました。 お釈迦様は生まれてすぐに、7歩歩いて、天上天下唯我独尊と言われたという伝承がありますが、ヒヨコや、鹿などと違って、人は産まれてすぐに立つことも歩くことはないでしょうが,生老病死の苦の解決をされた仏陀だから弟子たちによって、尊ばれてきた故事でしょう、このいみは、全世界に唯一人自分は、かけがいのない尊い人なのだ。 と同時に、迷っている人々にもお前たちも私と同じなんだよという意味です。
キリスト教では12月25日がイエスが誕生した日です。
4月8日はお釈迦様がこの世に出でた日として、多くのお寺では誕生を祝って甘茶をかけたり、お祝いをします。 法華ではこの日を自分たちの日として、自分自身にお祝いしようとする運動が最近出てきました。 自分自身の為に花を買って、頑張ったねとお釈迦様に褒められている自分自身を祝う。 こんな日が有ったら、苦しくて死んだ方がましだとする人も減るでしょう。 自分の命は自分だけの物ではない。 仏様から預かっている、大事な生命なのだ。 無限の自然や多くの人達の繋がりの中で生かされている、尊い命なんだ。
俳句で、仏生会 我にも天を さす指あり の句を見た事があります。
現代社会の若い旦那さんは、子供の為に頑張っているな、子育てで、眠る暇がないほど、疲れているママに優しい方が多いです。
子どもが好きだから泣き止まない子を、車に乗せ、寝付くまで近所を回った事もあったが、仕事を優先する事がおおく。 カミさんに寄り添う事はあまりなかった。 今はクリスマス家庭で祝う、クリスマスは一晩中キャバレーで騒ぐことが楽しかった。
離婚される方が、若くても熟年でも、高齢者でも増えている気がします。 私の場合は、いつも私の行動を見守ってくれていた婆がいたから、何とか人としての道を外さないで済んだ。 仕事先のお客さんと飲んだりゴルフで、家庭を顧みなかったが、午前様に帰ってくる私をカミさんは、寝ているが、婆は寝ないで待ってくれた。 早く寝てくれればよいのに、文句ひとついわないで、見守ってくれる。そのような婆を見て、遅くまで飲み歩く回数は自然と減った。
私の父は10歳の時、母は50歳で癌で死亡しています。 兄も51歳で癌で亡くなりました。 当然、親の介護とは縁がありませんでした。
それが、義母の介護をする事で、自分自身が少しは磨かれたと思っています。 カミさんも、子供達も介護や葬儀などを経て、それぞれの家庭の在り方を見直す良いきっかけになったと思っています。
真剣にカミさんを私は見ては無かったが、婆の介護が終わり、一皮むけた。 カミさんの良いところを100個ぐらい顔を見て、いえるだろうか?
不和になっている、ご夫婦、相手の悪い事ばかり、言い合う。 お互いに良い面だけ、しっかり見つめる。 さて、いくつ言えるかな?
命に合掌
