十二縁起
私達の魂(たましい)は、両親の夫婦生活という2.『行(ぎょう)=行為』によって母親の胎内(たいない)に宿り、3.『識(しき)』が生まれます。識(しき)というのは『生物の特性を備えたもの』ととらえ、不完全ながらも人間らしいものができてきます。
不完全な識(しき)がだんだんかたちを整えてくると、4.『名色(みょうしき)』になります。名(みょう)とは無形のもので、精神や心の状態をあらわし、色(しき)はその逆の形あるもの、つまり肉体を指します。したがって名色(みょうしき)というのは、魂(たましい)の入った人間の心身ということが、お釈迦様の基本的解釈です。
女性でないから、体験はできないが、母体が妊娠すると悪阻があります。 悪という文字が使われているが、母体が新しい魂を阻止しようとして起こる生理的現象だと思っています。
いずれにしても、人は多くの物質の集まりである肉体と精神、気の様な魂で成り立っている。
いくら体に負担をかけず、適切な栄養を与えていても、いつかは、老木が倒れるように、肉体も衰えます。
婆の介護での中で、知ったことは、人の脳と言えども、肉体は老化をします。 93歳までは婆は寝込むような病気はなかったが、足元が弱ってきたから、転んで、怪我をした。 その時レントゲン検査だけでなく、専門医から認知症テストを受けた。100から7をひいてください。93。さらに7をひくとというテストや机の上に眼鏡などの小物類をおき、しばらく時間がたってから、何が置いてあったか、応えるてすと。世界地図を逆さ読みしてください。そばで聴いていた私はかなり時間がかかってしまった。 世界と地図を二つに分ければ、ずち、いかせ と出てくる。
いずれにしても、婆は認定はされないが、要介護1のデイサービスを受ける権利を獲得するが、すぐに買い物途中で再び転倒し今度は大腿部骨折で入院手術、病室には認知症の方が多かった。 本人もここから家に戻りたいと口走るようになり、今は無理だからとなだめる事が多くあった。 多分、認知症は進んでしまったようです。 家庭に戻る前にリハビリ施設で歩行訓練をする事になった。 多少辛くても、病院ではないため、もう少しで家に帰れると、頑張っていたことを思い出します。 ところが、ここで、軽い脳溢血をおこし、順調に進んでいた訓練はやり直しになり、本人もやる気がなくなり、というより、プログラムをこなす事が出来なかったのかもしれません。 そこで、自宅でデイサービスにお願いして、、楽しいひと時が10か月ぐらい続きました。 家の中でしりもちをついてしまい、様子が少しおかしいから、病院に連れて行ったが、手術跡は問題がない、入院して少し様子を見ましょうとなったが、この入院がとてもつらかったのでしょう、間違いなく認知症が進みました。
カミさんが、自宅介護は無理だと言うので、施設を探してもらったが、どういうわけか、施設では手をあげてくれても、話が壊れる。 結局、職場の空きスペースに、エレベータが完備しているのでベッドをリースし、そこから新しいデイサービスさんにお願いしました。
毎日毎日、私達が、そばにいるのに、時々家に帰りたいという。 社内の一角に老後の家を新築して、べったりであっても、時々ここは家ではないという。 元の家の前まで車に乗せ見せた事もあります。
認知症という病は、肉体の脳というハードデイスクが子供の時や若い時の事はそのまま記憶している。 新しい情報は記憶できない病の様です。
脳がゴミ箱状態、古い記憶は残っている。 新しい記憶はゴミ箱からあふれる。 さっきトイレに行ったばかりでしょ。、人によっては、ご飯を食べたバカリでしょ。 と言っても、脳が記憶できない病です。
トイレから戻ったばかりでも、おもらしをしてはいけないという想いから、トイレに行きたいと口走る。 高齢で有っても、トイレに行きたい病は婆は完全に克服しました。 トイレに行きたいと訴えてきたら、分かった、ちょっとだけ待ってね、5分ならまてるでしょ。 うん、こういうやり取りで間隔を伸ばしていったら、トイレ回数は、私たち以上に戻った。 こうなると、排泄介助が楽になります。
認知症になった婆だが、古い写真などを見せると、若いころの話はしっかり覚えている。 小さな赤ちゃんは、抱っこをして満足気。
私たち親子に子供を忘れるような事はなかったが、 親であっても 子どもを忘れの認知症になったら、 私が一番そばで長い事尽くしてきたのにと思うより、昔から、あなたとは、仲の良いお友達だった。 これからも、仲の良いお友達でいようねという事を言えるような親子ならきっと素晴らしい介護によって、自身の魂が磨かれ、介護される方も、介護をする人の魂も光り輝く魂になると私は感じている。
命に合掌
