日蓮聖人は他宗派を批判し過激だから嫌だと思われる方が多いと思われますが、これも、大石寺日蓮正宗関係から生じた学会員等の折伏の影響もあったからでしょう。 指摘したように、日蓮聖人はもとより、富士門流の開祖である日興上人の教えからも逸脱した、宗教です。 

 

日蓮聖人は、『開目抄』に無智悪人の国土に充満の時は摂受を前きとす。安楽行品のごとし。邪智謗法の者の多き時は折伏を前きとす。常不軽品のごとし。 と言われています。 

常不軽菩薩は、長年にわたり常にののしられ、棒で打たれ、石を投げられても、怒りの心を起こさず礼拝行を続けた。この礼拝行の末に、常不軽は成仏し、常不軽を迫害した僧侶や在俗は迫害による罪障で一旦は苦しむが、常不軽のお陰で『法華経』に縁を持つことができて後生の助けとなった。  日蓮聖人の折伏行は怒りの心を起こさず他に対しての礼拝行です。あなたも法華経に出会えれば、成仏が叶いますよ。

南無妙法蓮華経と唱え、まずは自分自身が、出鱈目、の悪僧や悪師にだまされないで、日蓮聖人の教えを踏襲すればよい。

 

★日蓮と同意ならば 地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや

 


日蓮聖人が何よりも大事にされたのが、お釈迦様の教えである、涅槃経に説かれる 「依法不依人」です。  高僧であっても、お釈迦様の教えを優先しました。

 

たとえば、親鸞上人は『歎異抄』の中で「たとひ法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候」
といわれ、 教によらないで、人師に依っています。 

 

法然上人は曇鸞・道綽・善導の解釈を引いて、聖道門と浄土門という教えの区別、難行道と易行道という修行の区別を立てて、法華経および真言をはじめ釈尊一代のあらゆる経々とあらゆる諸仏・諸菩薩および神々を、すべて聖道門・難行道・雑行の中におさめ、「捨てよ」「閉じよ」「閣(さしお)け」「抛(なげう)て」と命じています。  これも、人師に依っての解釈です。

 

お念仏の方々が一番大事にする阿弥陀仏の教えは

 

「設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念
  若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法」これが 第18願です。

   【現代語訳】 わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、
     わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、
     もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを
     開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るもの
     だけは除かれます。

 

日蓮聖人は、法然上人の勝手な解釈で法華経を「捨てよ」「閉じよ」「閣(さしお)け」「抛(なげう)て」と命じたのだから、正法である法華経を謗った謗法の罪として、阿鼻地獄に落ちるから信仰を改めなさいとされた。 

 

● 法華経 譬喩品第三には、次のように説かれている。「もし人が法華経を信じないで、この経(法華経)をやぶり謗(そし)るならば、すなわちその人は一切の世間である六道の迷界を脱出して成仏するための根本原因である仏種(仏性)を自ら断ち切ってしまうことになる」と。
法華経を読んだり暗誦したり、書写したり、護持したりする者を見て、その人を軽んじたり、賎(いや)しめたり、憎んだり嫉(そね)んだりして、しかも恨みを懐くであろう。この人の罪報をあなたは今また、聴きなさい。その人は、寿命を終えた後、阿鼻地獄に堕ちるであろう。

 

釈尊の法華経なんて、釈迦牟尼世尊を誹謗し、去年の暦だ、役に立たないというような、池田創価学会は宗祖の教えからは、謗法罪。

 

律国賊とは、小乗の250戒をたてるが、最澄が主張した「大乗戒」とは、梵網経に説かれている「十重四十八軽戒」というもの
で、戒律の数は58しかなく、それまでと較べると大幅な緩和です。 小乗の律250戒というような、戒律は大乗の国には適しない。これを踏襲されたのだと思われる。 

 

浄土真宗は末法無戒、日蓮聖人も戒律に関しては無戒だと思うが、あえて言うなら南無妙法蓮華経の一乗戒。

真言亡国とは、生国不明の架空の大日如来を建て、法華経を低く見た娑婆世界の主、師、親の教主釈尊を低く見た人の教えは主、師、親を捨てているので、国や家が存続しない。

 

禅天魔というのは、経典に寄らないで勝手に教外別伝だと不立文字を主張する人たちを批判したのです。

 

道元禅師も日蓮と同じような事を言われている。

仏教のほかに一心あり、といふなんぢが仏教、いまだ仏教ならざらん。たとひ教外別伝の謬説を相伝すといふとも、なんぢいまだ内外をしらざれば、言理の符合あらざるなり。の誡文に迷ふ者也。という釈尊の誡めの文に背くものであります。

仏性を大切にされた方ですが、今一歩踏み込んで仏の種を育てて頂きたかった。
 

栄西さんの所の、中興の祖と言われる白隠禅師はいくら読んでも法華経はらっきょの皮むきで分からないとしていたが、
42歳の時、改めて法華経を読み: 第三章譬喩品)まで読んでいた時、たまたまコオロギの声を聴いたことをきっかけに法華経の真髄を悟り、
そのありがたさに号泣したと言われています。

 

法華経の真髄ではないと思うが、コオロギの声でお釈迦様の声を聴くにはさすがです。

 

横浜、東戸塚にある法華の寺ですが、毎月宗派を問わないでお説法してくれます。  オンラインでも参加できます。四月三日ですから、桜も大丈夫でしょう。

 

心みがきの浄心道場 | 日蓮宗宗門史跡 名瀬 妙法寺 - 公式サイト (myouhouji.jp)

 

講師臨済宗 妙心寺派 林昌寺
野田芳樹

 

命に合掌