宮田幸一の論文を読み解くことは、教学を勉強されていない方にはわかりづらいと思われる
富士一跡門徒存知の事
(宮田氏の考え この書は日澄が書いて、日興上人に見せたとあるが、おおむね、日興の考えにそっていて、使用が可能)
一、本門寺を建つ可き在所の事。
五人一同に云く、彼の天台伝教は存生に之を用いらるるの間直に寺塔を立てたもう、所謂大唐の天台山本朝の
比叡山是なり而るに彼の本門寺に於ては先師何の国何の所とも之を定め置かれずと。
爰に日興云く、凡そ勝地を撰んで伽藍を建立するは仏法の通例なり、然れば駿河国富士山は是れ日本第一の名
山なり、最も此の砌に於て本門寺を建立すべき由奏聞し畢んぬ、仍つて広宣流布の時至り国主此の法門を用いら
るるの時は必ず富士山に立てらるべきなり。
身延相承書 [総付嘱書] 日興の教学思想の解明のためには第一段階、第二段階でも使用でき
ない。 要するに偽書
日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば
富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり、就中我が門弟等此
の状を守るべきなり。
= 弘安五年壬午九月 日 日蓮在御判
血脈の次第 日蓮日興
宮田氏の論文を正しいとすると、牧口、戸田、池田の大石寺の教えそのものが、間違いだったとなるから、学会員は苦しまれる事が多いと思われるが、やはり日蓮聖人はどうだったのか、日興上人はどうだったのかを正しくみなおし、日蓮聖人の教えにもどす。
● 身延相承書 があったのなら」当然記さなければならないし、日興が宗祖から口づてに言わても,爰に日興云く、ではなく、日蓮聖人云くにする。 実長とうまくゆかないで、離山した日興は北山本門寺に戒壇を建立したいと思われていた。 宗祖からは云われていない。
日蓮から日興への正宗の相伝書関係の書はことごとく、宮田氏の考えでは偽書。
鎌倉時代の富士門流の教えでは悉く日蓮本仏論はない、 法華経に書かれているように、宗祖は釈尊の使いの一番弟子の上行菩薩の応現であり、本門教主釈尊の仏弟子。
だいたい、宗祖も日興上人も知らないのに、 板に彫り込んだ本尊と言えども、法華経そのものを信じない日蓮聖人の教えも理解できない日蓮正宗の僧侶たちでは、功徳は無い。 姿を現したら何時かは腐る。永久的に存続するものではない。 それこそ火事にあったら、誰も救われなくなる。 譬え、宗祖の真筆であっても、本尊というのは自己の心の内に建立する、あくまでも対鏡として拝する。
『本尊問答抄』は、清澄で兄弟子だった法華経以前の教え権経と釈尊の実語といわれる実経の権実相対だということ。
ここでは仏像が本尊は、だめだという話ではなく、密教を持ち帰った、慈覚大師は「大日経第一法華経第二」だからだめですよ。
法華経は神(釈尊の魂)だから」法華経で開眼供養しなさいと言われている。
今日本の国王より民までも教主釈尊の御子なり釈尊の最後の御遺言(涅槃経)に云く「法に依つて人に依らざれ」等云云、法華最第一と申すは法に依るなり、 法華経なんて役に立たない、去年の暦だというような、池田はもちろん、正宗の坊さんも、教学が無さすぎる。
法華経の題目なんだから、お釈迦様の教えのタイトルを信じて唱えなさいという事。 法華経久遠実成を誹謗をする正宗は正しく、勉強しなおし。 日有や日寛の教えを捨てて、北山本門寺に教わってきなさい。
釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり、末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり、其の故は法華経は釈尊の父母諸仏の眼目なり釈迦大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり故に今能生を以て本尊とするなり、
然れば則ち木像画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし而るに今木画の二像をまうけて大日仏眼の印と真言とを以て開眼供養をなすはもとも逆なり。
問うて云く法華経を本尊とすると大日如来を本尊とするといづれか勝るや、答う弘法大師慈覚大師智証大師の御義の如くならば大日如来はすぐれ法華経は劣るなり、問う其の義如何、答う弘法大師の秘蔵宝鑰十住心に云く「第八法華第九華厳第十大日経」等云云是は浅きより深きに入る、
慈覚大師の金剛頂経の疏蘇悉地経の疏智証大師の大日経の旨帰等に云く「大日経第一法華経第二」等云云、問う汝が意如何、答う釈迦如来多宝仏総じて十方の諸仏の御評定に云く已今当の一切経の中に法華最為第一なり云云
、問う今日本国中の天台真言等の諸僧並びに王臣万民疑つて云く日蓮法師めは弘法慈覚智証大師等に勝るべきか如何、答う日蓮反詰して云く弘法慈覚智証大師等は釈迦多宝十方の諸仏に勝るべきか是一、
今日本の国王より民までも教主釈尊の御子なり釈尊の最後の御遺言に云く「法に依つて人に依らざれ」等云云、法華最第一と申すは
法に依るなり
南無妙法蓮華経
合掌
