大日如来より日蓮に至る廿三代、嫡々相承/生身不動明王拝見 十五日より十七日に至る、月形。大日如来より日蓮に至る廿三代、嫡々相承。建長六年六月廿五日
上記は宗祖が書かれたものだから、大石寺や創価学会から教えられた日寛教の信者さんには、こういう事は素直に受け入れない事と思われるが、これは、大石寺の日目上人の弟子の日郷の寺から伝わる書であって、大石寺も真筆として否定はしていません。 この教えが無ければ、日蓮聖人の真意は理解できないでしょう。
ここで言われる大日如来は、15代の皇后の胎内に生じ胎中天皇としてあがめられた16代の応神天皇の事だと思えば、納得できるでしょう。 『日本書紀』での名は誉田天皇(ほむたのすめらみこと)。 帝は渡来人を用いて国家を発展させ、中世以降は軍神八幡神としても信奉されたようです。
現在と違って鎌倉時代は、神仏習合が普通でした、 宗祖は比叡山から故郷に戻る途中伊勢の神宮寺で、 百日間水行をされてから、清澄に船で戻られたと伝えられています。 伊勢の神宮も鎌倉時代当時は神仏習合の寺もあった。 日蓮聖人は、伊豆に配された時、地頭の病を法華経で祈祷し病を治したり、日蓮聖人の母親の寿命も祈祷で伸ばされた。
誉田天皇=大日如来=応神天皇=八幡神 天照大神、八幡神の本地は釈迦如来というのが、日蓮聖人の教え
今日蓮一代聖教の明鏡をもつて日本国を浮べ見候に此の鏡に浮んで候人人は国敵仏敵たる事疑いなし、一代聖教の中に法華経は明鏡の中の神鏡なり、銅鏡等は人の形をばうかぶれどもいまだ心をばうかべず、法華経は人の形を浮ぶるのみならず心をも浮べ給へり、心を浮ぶるのみならず先業をも未来をも鑒み給う事くもりなし、法華経の第七の巻を見候へば「如来の滅後において仏の所説の経の因縁及び次第を知り義に随つて実の如く説かん、
● 日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す」等云云
宗祖が表した文字曼荼羅は、書かれた紙は小さいが、法華経本門八品の虚空の様子を示された宇宙法界の仏神の配置を現している。宗祖が書いた曼荼羅の殆どは梵字で不動、愛染の日月神が左右に書きあらわされている。 法華経の陀羅尼品では、四天王や十羅刹女などの神々は皆法華経を受持する者を守護すると釈迦牟尼仏に誓われています。 当然、日本の神々も守護神として虚空会座に列座されたというのが、日蓮聖人の教えです。 本尊というのは、自身の修行の時に対鏡として示され自身の心の中に塔を建立する,塔の中には本仏であるお釈迦様、日蓮聖人に導かれて、仏様に拝謁をする。 基本的には、法華経に書かれている通り即是道場、 どのような場所、荒野であっても、僧坊であっても、いずこにあろうと自身の、心の中に塔を建てる。 まずは神仏に感謝。 祈りのない宗教は無いが、請願はやはり、自行の修行が利他の為になるような、請願。
宝くじが当たりますようにとか儲かりますように助けて下さいは無いと思うが、商売繁盛や闘病平癒、交通安全などの祈りを坊さんはするようですが、あくまで、札を頂いた方自身が身体に気をつけ、菩薩行である利他の幸せの為に尽くす事で、請願は叶う。 商売繁盛なら利他行でお客様を満足させることが自然と繁盛をする。
命に合掌
