如来滅後五五百歳始観心本尊抄
是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し八年の間にも但八品に限る、正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉阿難
を脇士と為し権大乗並に涅槃法華経の迹門等の釈尊は文殊普賢等を以て脇士と為す此等の仏をば正像に造り画け
ども未だ寿量の仏有さず、末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか。
法華本門の久遠実成の釈迦牟尼仏を現す仏像とは、上行等の四菩薩だということ。
江戸時代の下剋上の教えの日寛教義では噓読みをさせる。 創価学会も本門の釈尊(を)の脇士と為すと漢文を読まなければならないところを 【の】に対して(を)と嘘読みで読ます。
此の時地涌千界出現して本門の釈尊(を)の脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し月支震旦に未だ
此の本尊有さず、日本国の上宮四天王寺を建立して未だ時来らざれば阿弥陀他方を以て本尊と為す、聖武天皇東
大寺を建立す、華厳経の教主なり、未だ法華経の実義を顕さず、伝教大師粗法華経の実義を顕示す然りと雖も時
未だ来らざるの故に東方の鵝王を建立して本門の四菩薩を顕わさず、所詮地涌千界の為に此れを譲り与え給う故なり、
日蓮聖人は一体の釈迦仏像を本尊として持仏として拝していました。
また信者さんにも
釈尊は天の一月諸仏菩薩等は万水に浮べる影なり、釈尊一体を造立する人は十方世界の諸仏を作り奉る人なり
と釈迦仏像を勧めています。
富士門流の祖である日興上人の遺訓として、日目の後を継いだ、日郷、日尊、そして、大石寺を継いだ、日道の三師御伝があります。
そこには、
一、脇士なき一体の仏を本尊と崇るは謗法の事。
小乗釈迦は舎利弗目連を脇士となす権大乗迹門の釈迦は普賢文殊を脇士となす、法華本門の釈迦は上行等の四菩薩を脇士となす云云、一躰の小釈迦をば三蔵を修する釈迦とも申し又頭陀釈迦とも申すなり、御書に云く劣応勝応報身法身異なれども始成の辺は同しきなり、一体の仏を崇る事旁々もつて謂はれなき事なり誤まりが中の誤まりなり。
仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内、未曾有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊に背く意は罪を無間に開く云云、何そ三身即一の有縁の釈尊を閣きて強て一体修三の無常の仏陀を執らんや、既に本尊の階級に迷う、全く末法の導師に非るかな。
ここでは、法華本門の釈迦は上行等の四菩薩を脇士となす云云とあります。脇士である上行菩薩等の四菩薩を置けば、一尊四菩薩の本門の久成の釈迦牟尼仏です。 ここでは、一体の釈尊では文字曼荼羅本尊に背くという解釈です。 観心本尊抄から日興上人は云われていて。仏像本尊はダメだと言われているわけでは有りません。 日蓮聖人が信者さんに一体の釈尊像でもすすめていた。 日蓮聖人のお弟子は地湧の菩薩ですから、脇士があった方が良いが、謗法という事はないでしょう。 それより、池田創価学会が言われるような、正宗に伝わる板曼荼羅なるものは、鎌倉時代には日興門流からは、どこにもでてこない。
一部八巻の如法経は末法に入つて謗法となるべき事。 と言われても、日蓮聖人は身延山で書写行を大勢のお弟子さんたちにさせている。
取要抄に云く日蓮は広略を捨てゝ肝要を好む所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経是れなり と言っても、創価学会は方便品や寿量品を読むのでしょ、 一天目房の方便品読む可らすと立るは大謗法の事 とあるよ。 天目房の末裔が、現在の仏立宗ですね。
末法では唱題行が正行で力のあるものは、法華経を読んだり、暗記したり、解説したり書写することもゆるされる。
日蓮聖人の本地を日興上人は、釈尊の脇士の上行菩薩としか、みていない。当然です。
日蓮聖人の云く本地は寂光、地涌の大士上行菩薩六万恒河沙の上首なり、久遠実成釈尊の最初結縁令初発道心の第一の御弟子なり。
本門教主は久遠実成無作三身、寿命無量阿僧企劫、常在不滅、我本行菩薩道所成寿命、今猶未尽復倍上数の本仏なり。
法を云へば妙法蓮華経の涌出寿量以下の十四品、本極微妙、諸仏内証、八万聖教の肝心、一切諸仏の眼目たる南無妙法蓮華経なり、弘通を申せば後五百歳中末法一万年導師なり何ぞ日蓮聖人の弟子となつて拙くも天台の沙門と号せんや
日蓮聖人は当時は天台の坊さんとなのり、天台から独立したとは日蓮聖人はいわれていない。 当時は天台法華衆の本門派とか、日蓮派というようにみられていた。
「日蓮聖人は本地是れ地涌千界上行菩薩の後身なり、垂迹は則安房の国長狭の郡東条片海の郷、海人の子なり。
日蓮聖人の本地が釈尊の元々の弟子の上行菩薩といわれているのに、これは日興上人が嘘をついているの? 本地にさらに本地があるならば、本地ではない 笑える、日寛教
一、日朗上人去る正中の頃冨士山に入御あり日興上人と御一同あり、実に地涌千界の眷属上行菩薩なり、御弟子にてまします貴とむべし●●。
長い事宗門の為に、活躍されてきた、同僚でもある日郎上人、当然日蓮聖人のお弟子で日目上人につながるのであれば、貴とまなければならない。
お釈迦様の寿命無量阿僧企劫、常在不滅、我本行菩薩道所成寿命、今猶未尽復倍上数の本仏なり。といわれ、それを私達地湧の菩薩の境地に立って、お釈迦様の因行をこの娑婆世界で実践証明するのです。 お釈迦様の因行を地湧は娑婆世界で証明する。日寛教は、謗法の徒まるだし。 池田に騙されてきた、学会員さん、そして、2世、三世のかた、嘘はやはり暴かれる。
南無妙法蓮華経
命に合掌
