依頼したわけではありませんが、昨日菩提寺の住職が枕経の読経をされてゆきました。  同席した家族8人で一緒に経を唱えさせて頂きました。

 お寺で葬儀をすると、大勢の方が想定するから、自宅で家族葬で行う事を寺側にも前からお願いしてありましたが見ての通り、寺から立派な献花と献香を頂きました。  コロナ禍で、密になるのを避けるため、冠婚葬祭は極力小さくなっています。

 

家族葬は、普通は10人くらいらしいですが、婆の葬儀には、小さな子供まで含めると30名近くなりそうです。 僧侶も住職一人だけで良いと言っておきましたが、今は別の寺の住職になっていますが、婆の葬儀に参加したい旨を伝えてきました。 婆の通帳はあらかじめ、引き落としの分のためしか残さず、すべて下ろしておきました。  法号(戒名)は先に頂いていますし墓もあります。 

 

よく広告などで家族葬を安くできると言いますが、あくまで、広告は最低ラインです。  家族葬ですから案内通知や、外看板も必要がありません。車は、霊柩車だけで、バスの手配もありません。  そうであっても、結婚式と違って葬儀は流動的です。 ある程度決めたら、後は流れに乗るだけ。

 

 香典も頂かないから、受付も置かないつもりです。  あの世には持って行けない婆の残った資産。 湯灌から花の等級、遺影から料理等、すべて若い人たちに、残された人が、婆との最後の楽しい時間を過ごせるよう使って、貰い、任せました。  

 

婆は満97歳の間、大きな病気がなく過ごし無駄金は使わないで済んだようです。 、周囲の人たちに幸せになって欲しいという想いで、信心の道を歩まれた方、私にとっては、人生の大先輩でもあります。  

 

話しは変わるが妻の従妹が、最近離婚したと笑っていました。 私が自分が良いと思ったら人殺し以外、いいんだよ。 人生は一回限りだからこそ、誰にも一回だから、人殺しなどはしてはいけないが、離婚は、早めに分かれただけの新たな出発、婆が亡くなった11月6日は、カミさんとの51回目の結婚記念日で、忘れない日になりましたが、いずれ、私たちにも別離がある。 

だから、離婚なんて、早めに経験しただけ。  辛く、苦しい事があるから、楽しい人生も考え方ひとつで少しは変わる。  法華経、寿量品に、この世は遊楽する処とあります。

介護により旅行などはできなくなっていましたが、どのような苦しい介護であっても、始まりがあれば、終わりがある。  私たちにとって、介護経験で、人生の大きな意味を持つことが出来ました。

 

命に合掌