国家の為に働き殉死された英霊を祀る神社が靖国神社です。

 

戦前の国家神道体制と靖国神社などが戦争推進の精神的支柱となっていたことへの反省にたって、憲法に規定されたのが、日本国憲法第二〇条の、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」「国及びその機関は…いかなる宗教的活動もしてはならない」と明記され他のが、信教の自由、政権分離の原則を定めたものです。

 

靖国には戦前は昭和天皇も現上皇様が子供の皇太子時代には参拝されたでしょうが、戦後は憲法に従って、皇族方は、靖国には参拝されません。 総理大臣や、国会議員が参拝すると、公人ですか私人の参拝ですかとマスコミが騒ぐ。 まして今はA級戦犯も祀られています。

 

日本人は、古来から戦が有っても、主君が切腹をし責任を取れば、お家断絶はあっても、女子供は皆殺しをするような民族ではなかった。

 

戦犯は処刑され、亡くなって死んだのだから、それ以上責める事はしない民族ですが、周辺諸国の戦争により被害を被ってしまった遺族の人たちにとっては、日本の権力者の参拝は、何時迄たっても、許す事が出来ない。  国民の考えを代弁する一国の首相ならやはり、憲法を守っていただきたい。それが日本国の国益にもつながる。

 

戦前は国家神道によって、仏教の教えは追いやられてしまった経緯があります。  権力者が、一宗教が牛耳るような事は有ってはならないと反対をするわけです。  国民一人一人育ちも環境も、違うから、考えたも違います。  私も自分勝手に発信しています。  当然おかしいと思うような事が有るのは普通だと思っています。

 

私は英霊などという言葉はあまり好きではありません。  千鳥ヶ淵に祀られている、戦争による犠牲者、家を焼かれ苦しまれた戦没者の慰霊を最初に行ってから、靖国に行くこともありますが、英霊なんかではなく、あくまでも気の毒な時代に生きた犠牲者への慰霊です。

 

自分達権力者の都合で天皇を利用するような、歴代の自民党総理さん達は考え直して頂きたい。  菅総理に至っては、天皇は内閣の指示の事だけをやればよいという考えです。  皇居の庭の一部を一時解放した時期があり、多くの国民が散策を楽しまれた。  菅総理は、ならば皇居は何時も開放して入場料を取ればよい、 天皇家といえども、自助で稼げという考えです。  ただの有料公園にしてしまえば、皇居の庭が荒れてしまう。 

 

皇居には陛下を守るため多くの市民が,草むしりなど、無給で、お手伝いをしている人たちがいます。  ご苦労様と、宮様達からお声もかかる事もあるでしょう。   皇室も商品としか、観る事が出来ない、権力者が残念ながらこの国には多くなっている。  天皇陛下がお泊りになったというだけで宿のブランドが上がる。宿はブランドをそこえないように、従業員一同、宿を守る。  宮内庁御用達品として頑張られている小さなお店もある。 皇室が話題になる事は、仕方がないが、特に報道をする方は、皇室の方は、自分の考えだけで行動が出来ない、人権がない、気の毒な生活の中でしか生活が出来ない事を知って行動をされて欲しい。  一父親として、秋篠宮様夫妻の苦悩を私は忖度をします。

 

法華の日蓮宗には宗祖がいずこで亡くなろうとも九か年の間、法華経を唱えた身延山に墓を作って欲しいという遺言に従って、お弟子さんたちは、毎日交代で輪番奉仕をされ、鎌倉時代から一日も休まず続いています。

 

 日蓮宗の寺は他宗派に比べて寺数は少ないが、寺に所属していなくてもお題目を唱える人たちが念仏を唱える人よりも多いそうです。  オンボロバスに乗って、九州等から、大勢で参拝され、お題目を唱え、境内を掃除するなど、在家信者の集まりの人たちが多くいます。  有り難い話で頭が下がります。   私の 菩提寺では日蓮宗僧侶の説法だけでなく、禅宗さんや浄土真宗さんの僧侶も月に1回ですが説法をされています。  法華が他宗派の教えを受け入れるとは、ひと昔前までは考えられない事でしたが寺も、時代時代に沿って、変わる事は良い事であり、変化に対抗できなければ、廃れるだけです。  同じ大乗仏教、それぞれ、良いところもあり、いいですね。  法華は経に書かれている通り最上の教えと伝えるだけで良い。  違いがあってよい、まずは良いところは認め合う。  世界にたった一つの花  認め合う

 

命に合掌