に関して、多くの国民は関心があります。 国民の多くは、あれだけ、お互いに信じあって、頑張ってきたのだから、親はどうであれ憲法に従って、一緒になる事を素直に祝ってあげたいと思っている人が多いと思っています。 コロナ禍で結婚式の在り方も、変わらざるを得ない人が多い。 子どもたちの晴れ姿を楽しみにし、祝ってあげたいと爺さん婆さんは思っているが、それも叶わない事が多くなっています。
上皇様夫妻にとっては、最初のお孫さんで、将来悠仁様が天皇に即位されれば、真子様は天皇陛下の姉上ですから、どこまでも、幸福な人生を歩んでほしいと願うのは、私たちにとっても、普通の事です。 皇室に生まれてしまった事は宿命ですから,変える事はできないが、どのような境遇であろうと、出会いと、そして努力によって、道が開けます。
出会いは、自分に味方してくれる出あいばかりではありません。 時には自分の思い通りに行かない出会いもある。 むしろ、嫌な人と付き合ってゆかねばならない出会いもある。 むしろそのような出会いによって、自己の精神性の魂が磨かれる事を信じて、やりぬいて頂きたい。
形式な事よりも、 皇室一家として、祖先を交えて,真子様が,御挨拶が出来れば、御身内だけの門出のお祝いで送りさす事に対して、私たちがとやかく言う問題ではありません。 出来たら、暗い事が多い、現在の世。 国民一堂に喜んで祝ってあげたい。 元皇室の品位を保つための1億三千万円くらいが、支給されるといわれる。 国民一人当たり1円です。 恋も自由にならない気の毒な身の上、私たちの家庭と違って、上手くゆかなければ、親元に、戻ってくれば良いというわけにはゆきません。 アメリカで暮らそうと、皇室を離れても、出来たら、日米の親善大使的役目を請け負って、さらに、ご活躍していただきたい。
皇室からいずれ出る子として、大切に育てられた、秋篠宮殿下夫妻にとって、お寂しい事と思いますが、真子様が選んだ道、信じて送り出すしかない。 娘の旦那になる人を、一発は殴りたい気持ちは、父親にはあるが、それが世の習い。 そういう気持ちを経験できる、ことが幸せな事です。
阿部元総理も菅総理も天皇陛下の気持ちを踏みにじる事が多い。 特に右派といわれる自民党では、天皇陛下が沖縄やサイパン、パラオ共和国など第二次世界大戦の激戦地だった場所へ訪問することや、被災地を訪れて被災者を見舞うことについても「余計な仕事だ」と批判的な、議員が多く天皇陛下は内閣が言われたようにやればよい。 「陛下はお祈りさえしていればいい。だから退位も必要はない」という内容の言葉がありました。
戦後生まれの私でも、最近は特に歴史を歪曲していることが特に目につきます。 大阪河内堺の仁徳天皇陵に対しても、真実を伝えない教科書が多くなっています。 民の竈 という仁徳天皇の逸話は、教えない、私も学校では、そこまで教わりませんでした。
エジプトのピラミッドのように、奴隷を使って築いたことではありません。 仁徳天皇は丘の上から民の家を見下ろし、竈の煙が出ていない。 お米を食せないからと思って、3年間、年貢を無税にしました。 皇后様は自分たちの家の修理もできなく、ぼろの衣を着こまなくてはならないと、嘆いていたが、天皇は、家々から竈の煙が多くなったと言って、自分は幸せだとし、さらに三年間無税にした。 庶民は食べ物がお腹一杯食べられるようになり、天皇陛下の家の修理も喜んで手伝いました。 子どもたちが、多く産まれた事で、仁徳天皇は、田んぼを広げる為、堤を造作し、水路を作り、堀った土を山盛りにした。 そのまま、山盛りしただけだと、土砂が大雨で田に入るのを防止するため、周囲を掘って水を入れたのが、御陵です。 自分達の生活が豊かになるのだから、庶民は喜んで、田畑を開墾していった。 畑を作っても、水はけの悪い土地では、野菜も育たない、粘土質をさらに掘って、土を盛り上げた所が、豪族達が百姓と一緒に開墾していった、名残りです。 百姓に力づくでやらせ年貢だけを搾取するような、今の政府のような略奪者のような者は日本にはいない。 いつも騙し合い、食うか食われるかの諸外国とは、日本は違います。
大和朝廷は,開墾によって、さらに収穫が増え、三国志に出てくる,呉の国からも、見習いたいと、仁徳天皇を大事にされた、 呉の国からは、絹織物、蚕の技術が日本に入ってきて、さらに発展をした。 秦氏とか織部とか綾部というような性を持つ人は日本の新天地で、頑張られた、帰化人が多い。 いずれにしても、日本の天皇は、庶民と共にという精神があります。 それが無ければ、私たちは敬う事はできない。 明治近代になって、権威はあるが、権力のない、天皇陛下を担ぎ出して、軍刀を持たせたいような、長州の輩が今でもいるという事。
私が習った世界四大文明、エジプト、インダス、メソポタミア、黄河、それよりさらに古い時代に、長江の揚子江の下流に倭人が高床式の家で、暮らしていた。 日本では3億8千年前にすでに、伊豆半島の神津島で採掘できる、黒曜石が全国の貝塚で見つかる事が多い。 すでに、黒潮を乗り切るだけの船の技術が石器時代の倭人には、あったという事です。 関東平野は海だった。 氷河期によって、水面が100メートルぐらいは下がっていたと言われます。 科学的には10万年単位で、気温は繰り返していると言われます。
今は海水面がまだ、上昇中ですが、いずれ逆に寒冷化している土地も多くなるでしょう。宇宙も、地球も、呼吸しているように、拡大、縮小を続けている。 南極大陸も本来現在の位置ではなく、凍らない大地だったようです。 水面からの高さがあるエベレストの頂上でも、隆起する前は海だった。 だから、山サンゴや岩塩などが、いまだに採掘されている。
これは、化石などから証明されています。 ムー大陸は伊豆半島、小笠原、インドネシア、フイリピン、タイワン、そして、沖縄諸島から、九州鹿児島までならなら、夢があります。 北の千島列島も浅瀬で繋がっていた。 日本に恐竜やナウマンゾウの化石があります。 大陸と繋がっていた証拠。
現在の科学技術では、どこの産地の物か、分かるようです。 科学的な考古学によって、子汚い権力者の嘘が暴かれる。 稲は雨季と乾季がある暖かい産地なら、出来るが、日本は本来春と秋がある、温暖の地です。 だから、種をごまかす為、田を作り、水を入れ、苗の育ちにあわせて、水の調節をして、収穫をする。 稲のDNAを検査をしても、朝鮮半島から日本に稲は入ってきていません。 日本から朝鮮半島に持ち込まれたのが、真実です。
温故知新、古きを訪ねて新しきを知れ、 CHQの洗脳政策によって、良き精神的な文化までもが、壊されているのが、現代です。
科学的見地から、GHQからの洗脳教育から離れ今一度見直す教育改革こそ、祖先の思いを伝える国民が多くなれば、世界平和につながる。
命に合掌
