ダイゴ氏の生活保護を受けないと生活できない人に対しての差別発言が炎上しているが、こうした差別発言が五輪の開会式の選別の在り方を見ても、問題が後を絶たないのは、やはり欧米型の現代社会構造を推進するのが正しいとする新自由主義によって、強く助長されている事が底辺にある気がしている。  

 

人生を変える出来事として、4つの事をお話ししたことがあります。  

 

一つ目は神仏しかわからない神秘的な事

二つ目は 宿業というか運命的な事

三つ目は出会い

四つ目は、本人の努力  です。

 

一つ目は人間ではわからないから、あるがまを受け入れるしかない。

 

宿業、運命は変える事が出来ません。  生じて来た時は誰もが丸裸ですが、生じて来た環境によって、受ける恩恵は違います。

これも、いくら不平等だと言ったところで、変える事はできません。

 

私たちに出来る人生を有意義に変える事は、出会いと、そして努力です。 努力は個人の自助でしょうが、これだけではどうにもならない事が有るのが人生です。  

 

竹中氏は働かない権利も貧しくなる権利もあるが、そういう人は頑張っている人の足を引っ張るなという自助主義です。

 

世の中働きたくても、職種によっては、どうしても適合が出来ない方がいる事も事実です。  一つの事を教えても、それを水平上に上手に応用が得意でない人もいます。  玄関のカギをかけ忘れていないか、電気はつけっぱなしにしていないかなど、出先でも気になり他の事はできない人もいます。 やっと教わった一つの事だけしかできない人であっても、こういう方は、とっても貴重です。  安全の為の確認作業なら、ひとつづつ正確に確実に行ってくれる仕事だって世の中にはあるでしょう。 むしろこうした人たちを活用できる社会が生きがいのある社会となる。  周囲の子に対して、早く上手にできない子で有っても、健全な社会ならば、この子は大器晩成だと、温かく見守れる社会が安心した社会になる。  

 

憲法13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。  

 

生活保護を受けなければ、生活できない人がコロナ禍でシングルの子育て中の方に増大しています。

なかには、ごまかして、生活保護を受けるような人もいるかもしれませんが、そのような方は0.1%もいないでしょう。

 

出会いというのは、自分に都合の良い事だけでなく、自分に反発してくる人、又福島の原発のように、自由に生活できたことが、ある日いきなり、家も職場学校も先祖からのお墓も捨てなければならない出会いもあります。  自助だけで救われないから、大昔から日本人は助け合いの共助を中心に生き延びてきて、憲法ではさらに公助として、誰にでも権利として公助をうけて生活することで、安心した生活が保障される。 何時、働き手の柱が交通事故に逢うかもしれない。   

 

五輪で一億円を得たフエッシング競技もあったが通常,金メダルには、一つ500万円の報奨金がついています。  今まで努力し頑張りぬいたのは、事実でしょうが、焼き肉を腹一杯食べたい気持ちもわかるが、自助だけではなく、多くの見えない出会いに支えられた事で叶っているはずです。

報奨金は国民の税金です。 美味しい焼き肉の裏側に涙している人がいる事を知って、さらに人として歓喜の人生を歩んでいただきたい。

 

国の社会保障のあり方が自助、自助、自助だけでは、日本国民は救われないどころか、素晴らしい文化も切り捨てられる。 感染に 五輪は関係ないなどと政府は言いうが、福島や宮城は間違いなく感染拡大が強くなってしまった。  国会が閉会されているから、このような事態にも対処できなく、制御不能だと自ら認めている。  制御不能に陥ったのは、自公政権や都民フアーストの小池都知事がコロナを甘く見ていたからです。

感染者は自宅で放置しなければならない事態になってしまったのは、7000人の医療従事者を集めた五輪の影響はなかったのか?

残念かもしれないが、安全を保てない、パラを中止し、五輪村を一時自宅待機者の受け入れを考えても良いと思うが、国会が開かれていないのでは審議もできない。   右だとか左だとかは関係ない。 自分達だけ益があればよいという、ファースト主義では周囲を泣かし、やがては自分たちに不利益として反ってくる。 

 

命に合掌