生老病死の解決の法を仏陀は2600年前に解かれたが、いまだに人々は苦から逃れられない。

 

老に対して、若くありたい  老に対して、何時までも健康でいたい、死に大して命を永遠にと思うが、諸法無常ですから、変わらない者はない。

生じて来たものは必ず死す。  何もかも自分の思い通りにならないから,生は、苦なのでしょう。

 

いついつまでも若くありたい、健康でありたい、死にたくないと願っても 100%誰もが達成したものはいない。

 

私たちが自分だと思っているのは、仮の我です。  自分の体だと思っていても、分子や原子の集まり、バクテリヤやウイルス、お腹の中は糞尿まみれ、道路につばを吐けば汚いと思うが、口の中のつばはあまり気にならない。  心臓や臓器、脳や血液が自分ですか自分でないから、自ら制御はできない?

 

仮我である私たちは、宇宙の因縁起の関係性の中に生じている。  

 

夫が妻に誰のお陰で飯が食っているのだと、パワハラ無知夫が多い。

パワハラ夫は自分が稼いだお金でお米を買い食べる事が出来るのだといくら威張っても、夫だけの力ではありません。 稲が実るには、太陽や水、ミネラルなどの自然条件等がそろった時にお米になる。 お米が害虫に食べられないように、鳥やクモなどの力も働いているでしょう。 お百姓さんのお陰、水田を昔に作られた人たちのお陰でもあります。  耕耘機や脱穀機など収獲を上げるのに、多くの人の技術の上成り立っている。

米を車で運ぶ人。 ガソリンが必要です。  産出国の人のお陰で燃料が手に入り電気が作られる。 一年中電気を見守る人がいる。

エジソンがいたから、私たちは素晴らしい現代的な便利な家電製品で生活を豊かにできる。 エジソンのお陰でもある。  そのエジソンはラム肉を食べた、 ならば食べられた羊の命の犠牲が無ければ、エジソンは産まれていない。 要するに、私達は過去から今に至るまで、宇宙のすべての関り関係性の中で生かされている。  だから目に見えづらい事に感謝するのがお陰様。

 

命に合掌