妻の父親は小さな町工場を婆の弟と二人で昭和36年から仕事をしていました。 妻を嫁に出すという事になったが、妻が名前を継がないのなら、仕事を手伝ってもらいたいという話がありました。 当時私は若くても、そこそこの稼ぎがありましたが、何が自分に合っている仕事かわからない状態でした。 とりあえず旋盤という機械を初めて使ってみました。 昭和46年です。 物を売るのではなく、鉄を切削して物を作るという事がとっても私には新鮮で、今始まったばかりなのに、もうお昼かという感じでした。 まだテープ運転でしたが、最新鋭の機械も導入し、夜は協力してくれる会社を周るなど、子供が生まれた事でさらに頑張ってきました。 頑張っても、世の中変化します。 オイルショックの時は,紙はもちろん、洗剤なども手に入らなくなり、遠くまで求める事もありました。 1ドルが360円という固定相場で、日本の製品が北米に輸出される。
アメリカでは自動車などの輸入製品に対して、課徴金を果たすなど、ついには変動相場になり、すぐに1ドルが80円になりました。
ゴルフをやられている方なら、わかると思うが1ドルが360円、ハンデ36の人がいきなり1ドルが80円ハンデ8というシングルなら、。太刀打ちできない。 親会社からは、値下げの要請や単価も厳しくなってきましたが、円の価値が上がったので、外国に遊びにいったり、輸入は安くものが買えるようになる。 戦後ベビーブームの団塊世代はじめ、多くの人が、結婚し家を建て、自家用車やカラーテレビ、家電を買うなどしたのが、バブルの始まりです。 土地の投機、 ゴルフの会員権などもうなぎのぼりでした。 貯金するよりも、遊びで使いながら、さらに高値で売れる。 中には銀行から借金してまで投機に走る人が続出しました。 給料もうなぎのぼりでした。 そのような美味い話は長くは続きません。
証券会社や銀行がつぶれ、さらにリーマンショックがあり、以後日本は積極財政をとらない、緊縮財政のまま今日を迎えています。失われた25年という感じ。 今は金利が安く貸して貰えるが、借りて機械を導入したり、人を増やしても、さらに売り上げが上がるような事が見込まれないデフレ状態です。
債務超過の会社が続出し、借りれが厳しくなり、貸しはがし という事まで銀行はやりました。 政治家や大企業関係が経営しているからとか、町で経営しているかなどは当てにならない事を勉強させてもらい会員権などは、二束三文で売却しました。
会社というのは、役員はあらかじめ役員報酬を、みなしとして決めておかなければなりません。 決算途中で業績がいいから、途中で報酬を上げる事は出来ない。もちろん決算後特別報酬は受け取れるが、税るが非常に高くなる。 当然予定よりも落ちても報酬はそのまま、結局赤字分は、役員が給料が支払えなくなり会社に貸し込みをします。 報酬を取りたかったら、銀行などから、借りてこなければならない。借りれば返済をしなくてはならない。
報酬を役員が下げても、さらに厳しい時代が続けば、給料は取れないが、税金の支払いはしなくてはならない。
売れるものは、土地でもなんでも、処分をしました。 余分と思われる保険なども解約し 退職金制度も解約し、積み立てた資金は社員に渡し、退職金制度を変えて頂いた。 元気ならいつまでも働いても構わないという具合にもってゆかざるを得なかった。
仕事もこのころから、親会社に頼らない自社製品の開発を強く進めてきました。 現在はそうした努力が実りお陰様で順調に商いをさせて頂いています。 早いうちに思い切って子供に継がせました。 私の給料は10万円ぐらい妻はゼロに落とし年金を頂くことにし、会社を助けるように持って行き、家賃収入で老後を楽しむ事にしました。 会社に 貸し込んでいる金額は今でも4000万円くらいあります。 会社は催促されない、利息もつけなくて構わないところから借りれば、銀行に利息を支払う分が楽になる。 婆の介護の為、家を子供に開け子供はローンをかりて、改築して自由に住む。 会社の一室を借りて、住居を造った。 本来なら家賃は広さからいうと、10万円くらいだが、20万円を会社に支払っています。 会社としては、営業外収益が月に20万円入る事になる。 家賃を支払うといっても、貸し込んだお金が減るだけ。 20年で4000万円は消える。
役員が会社のお金を安く借りたり、高く貸す事は社員にとって、不利益になる。 当然やってはいけない行為です。 税金を払った分の資産が会社の為に使う事は会社の利益につながる事は認められる。これは会社を経営される方の基本です。 いづれにしても、会社有っての私たちの生活。 妻に対して思うのは、売り上げが伸びない時であっても、妻はもっと働けなどは言わないで、大丈夫少しお休みした方が、体に良いといってくれるパートナーだったこと。女性は強い。
もちろん、大手であっても雇われ社長は自分の資産まで使って、会社を助けようとする人は少ない。 業績が悪ければ、交代させられる。 世界中のコロナ禍でトヨタでも、タイの工場がおもぅ様に稼働できなくなっている。 半導体も、木材の供給も落ちている。 五輪後は、物価の値上げは日本では避けられない。 その分以上に国民の給料が上がればよいが、そのままだったら最悪のスタグフレーションが起きさらに弱い国民は厳しくなる。
菅総理は重傷者を助けるため、中傷症状の患者を病院に入れないと決めているようです。 これにはさすがの公明党でも反対する。
軽症者でも中傷症状の患者でも、1時間後には重症になってしまうような病気が、コロナウイルスの特徴です。 家ならトイレや風呂が別な大きな家でないと、家族にうつりやすい。 保健所との連絡を密にすると言われても、現在デモ家で待機されている方の中には、家族にも熱が出てきていて、保健所にも連絡がつかない。 菅や都知事は重症だと連絡しない奴が悪いという間抜けな政治家。
有明の展示場は五輪で各国のマスコミ施設として使われているが、東京ドームや、必要ならば、地下駐車場に簡易の仕切りを造ったりダンボールベッドを並べる事で、少ないお医者さんや、看護士さん、さらに彼らを助ける人たちも仕事がやりやすすることで、感染者を全て保護、隔離できる。
悪知恵ばかり働いて、国民の安全を守らないバカ総理には、どうしても早く退場して頂かなければならない。
命に合掌
