天皇陛下は政治活動が出来ないどころか、選挙権も持っていません。 私たちはどのような境遇であろうと、18歳になれば、自身の意思で選挙という政治活動に参加することが出来ます。 自分の 好きな、仕事や遊びができないどころか、自分の意思に反することまで、時には受け入れなくてはならない、そういう意味からは、真にお気の毒な存在ですが、生まれながらの宿命ですから民の為に今のようにキリットした元気なお姿をいつまでも私達は願っている。
陛下そして皇室の方は、絶えず国民に寄り添い、災害で苦しまれている人には自ら見舞い、国民の幸せを願いながら、世界平和がいつまでも続くよう、願い祈る。
お釈迦様は太子で現れた時、東西南北の門から外に出て、人々が生老病死で苦しまれていることを知り、すべての衆生が苦から逃れる道はないかと、宮殿の中での、衣食住の最高の身から一転して王子の身を捨て、乞食の修行僧の姿と化しました。 仏教の原点は生老病死の解決にありました。 長い年月、苦しい修行を試み苦労を重ねられた結果、ついに解決する日がおとづれました。 永遠に解けないであろうとされた、生老病死の問題はこの日、ついに解決をみた。つまり悟られつまり成仏されました。 今まで経験した事のない喜びの世界を知った。この日こそは、偽らざる真実の自分の姿をはっきり見た。
この時のご自分の姿は時間、空間を限りなく超えた広大なる生命だった。
この先の話は後日にします。
宮沢賢治は法華の行者でもあります。 お釈迦様のように、生老病死で苦しまれている方に、絶えず寄り添い、実践された菩薩です。
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ[#「朿ヲ」はママ]負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
天皇陛下も絶えず私たちの苦しみに寄り添い、幸せを祈っていてくれる、大菩薩様です。
私たちは天皇陛下や、賢治を見習って、絶えず、周囲の苦しみの声を聴き、大丈夫だよと背中を支えてあげる。 そういう理想の社会にしたい、浄土にしたいという事が、お釈迦様の慈悲の本願です。 「みんなが互いに感謝し合い、敬い合い、慈しみ合うそんな理想社会を築きたい」、仏様の願いを、この娑婆世界で実践される方が菩薩様で、私たちは仏様の使い如来使として、仏様のお手伝いをする。それが、自身の菩薩道です。
仏様の願いを引き継いで私たちは仏様の慈悲の活動に参加させていただく。 如来と共に (法師品)
身は苦しい土にあっても、心はいつも御仏と一緒。 娑婆即寂光土
命に合掌
