月曜日ぐらいに、今まで通りにデイに通いながら在宅介護が出来るか、それとも、お医者さんや介護士さんの指導にそって、訪問介護を希望するか決めようと思っていたが、少しずつ体調は良くなってきたと思っていたが、ベッドの生活をしたため、車椅子に長く座すことが出来なくなっています。 ベッドの中ではクラッシュタイプのこんにゃく畑などを吸わせていました。 97歳であっても乳首を吸う赤子の様です。 ヨーグルトを中心に 食事もおかゆにしていましたが、食べるのが細くなってきています。 デイは難しいと判断し本日ケアマネジャーさんに電話してデイからお医者さんの訪問介護をお願いしてみるつもりです。 月に1回くらい診察をして頂き、終末介護の方法を教えて頂ければと思っています。 お医者さんの指導が無くて、自宅で亡くなると警察に運ばれ解剖される恐れがあります。
手術の性もあるのでしょうが、どうしても体を右横にしてしまいます。
クッションなどを使って、いろいろやっていますが、右腰のところが赤くなってしまい床連れの前症状です。 久しぶりにシャワーですが、2人がかりで頭と体を洗ってあげました。 タオルで頭を拭きながら、頭をマッサージしてあげると、気持ちが良いと喜んでくれました。 お医者さんでないから、余命はわかりませんが、私たちはさほど長くはないと、覚悟をしています。生きているのに、縁起でもないと思われるかもしれませんが、生きている時にこそ葬儀の在り方を話すべきです。
葬儀もコロナ禍ですから、少人数の家族葬でと思っていますが、これが意外と難しい。 亡くなったら、菩提寺に連絡し、葬儀屋さんと打ち合わせをする、 この世に出てきた時には、産湯で体を洗ってあげる。 亡くなっても、最後は湯灌という体を洗い、女性ですから化粧をして頂きたいと思っています。 通夜は家族だけで済ますつもりですが、葬儀というのは、自分たちはこうしようと思っても、その思い通りに出来るとは、限らない。 身内以外は葬儀が終わるまで連絡しないつもりです。私の兄弟にも終わるまで連絡しません。 葬儀後も 御香典や供えは申し訳ないが、お心だけ頂いて受けないつもりです。 婆は信仰心が高かったので、寺友が多いが菩提寺の住職には私たちの思いを了解していただき、進めるつもりです。
どのような葬儀であろうとも、子供や孫たちに、死というもの,供養を教える、滅多にない大事な儀式です。 逝く者も残る者も供に養う教え、 死を教える事は生きる事の意味を伝える事。
命に合掌
