コロナ禍に対する日本の脆弱な医療体制は私立病院が、医師、介護士、事務を含め、感染症病棟には対応できていない現実があります。

ベッド数の空きが有っても、感染症患者を受け入れたら、一般診療に支障をきたす。 昨年と感染症病棟受け入れ数は増えていない。

大阪の吉村知事の必死の要請で、滋賀県知事が余裕があるわけではないがとしながらも、看護師2人の派遣をされた。  一方無観客の五輪でも500名の介護士が必要という事で、募集が明るみになったが 集められるのか疑問がある。  ワクチン接種が高齢者に一部始まっても、いまだに医師や介護士の接種が終わっていない。 65歳以上の高齢者だけでも3500万人いる。 接種が 歯科医の応援などでやっと1日10万人できる体制になったが、これでは全然少ない月に300万人一年以上はかかる。 外国では医師でなくても、接種が可能な人を増やしている。  7月までに高齢者の希望者の接種を終わらせるとか、9月までにという事は、ほとんど不可能に近い。  ましてその中で五輪を開催するなどとは、考えられない。

当然、外国と同じように日本も医師だけでは、無理でしょう。  このような単純計算は誰でも出来るが、政府は、ワクチン接種が誰もが簡単に受けられるようになるのが、何時になるかを、きちんと説明をしない。 海外からの受け入れもPCR検査でなく、唾液の抗体検査に替わって居る。新型ウイルスではなく、2重にも変化しているウイルスが東京でも新たに見つかった。  ウイルスもバカではない生きるためには、変化し続ける。

 

日本人の平均寿命は、男が82歳、女性が88歳ぐらいです。   コロナで死亡する人の平均年齢は80歳ぐらいだそうです。  もちろん、抵抗力が弱い基礎疾患の人は、たまに死亡する人がいる。 死亡率としては、毎年のように流行るインフルエンザと同等の感じを受ける。

もちろん、幼い子供が病気をしたときの母にとっては、ウイルスは心配でしょうが、生じて来たものは、必ず滅する、親よりも早く先立つ事もあるという事が、世の習い。

 

婆が入院した時、同室の人は、ほとんど認知症患者で、自分で食事も食べる事が出来ない人でした。 多くの人の世話までしなければならない、介護士さんは、食事までスプーンで口に入れさせてあげなくてはならない。当然、食べたくない人にも、乱暴なほど、口に入れてあげなくては」こなせないほど忙しいのでしょう。  毎日夕食の時間の少し前に面会に行って、私は食が細くなっている婆のペースで食べさせた。 病院に長くいれば、間違いなく、認知症が進む。  

 

人は一人では自立できない、必ず誰かの支えがいるが、認知症で寝たきりになっている人まで、延命治療が正しいとは思えない。

年齢を重ねれば誰もが、友人を失ったり、目がかすんだり、歯が抜けたり、髪の毛が薄くなり、失うものが多くなる。  ちょっとした手術でこうした現象を抑え、社会復帰が出来るのなら、素晴らしい事ですが、それとて時期を遅らせるだけ。生じて来たものは、必ず滅する。  

 

大地に産まれた縁で多くの者達との出会いで生かされ、現在人として生きている我。時には争いになる事もあるが、それとて、誰もが共存している。最後は誰もが 肉体は枯れ葉になり、散るのは自然の摂理。  仏教では諸法無我を言います。  衆縁和合によって現在成り立っている我であり、変わらない主体となるような存在の我はないという事です。  肉体なんかに囚われ事はない。  この娑婆世界は誰もが修行の道場です。  

修行ですから辛く、苦しい事もあるが、その中で楽しい事を見つける。 生死苦楽共に受け入れ、肉体を手放し、自由に新しく羽ばたく。 握り掴んでいるから、自由はつかめなない、  手・ば・な・す  喉に穴をあけたりしてまで生きる事はない。 肉体は 枯れ葉になって散る事で、最後は肥料となって、大地に恩返し。  有難う

 

命に合掌