人は100%死から逃れられない、どうせ死ぬのに、辛く苦しい思いまでして、何の為に生きるのかという生きがいの目的を見つけられない人が、昨今増え、うつ状態の人も増えて要る。 何の為に死ぬの?といわれれば、昔は 武士の家庭なら、お家の為、主君の為、国の為に命を投げ出す人も多かった。 焼野原の戦後 農家の人は、孫子の時代まで食べてゆけるよう、杉の苗などを植えて、50年もたてば、材木として売れるという事で、たくさん杉などが植えられ、それが花粉症の原因にもなっている。 価格の安い外材に太刀打ちできなく、人が入らない山は荒れ放題。 農業、漁業で生計を立てる事は、厳しく、お嫁さんも迎えられない人が多くなっている。
地球環境の自然や街の人たちの為に安全で、美味しい食品を提供するために、働いている。
仏教では何のために生きるのも、何のために死ぬのも、周囲の人の幸福の為に行う菩薩道の実践の為に、人として修行するために生じて来たと教えます。 修行ですから、厳しい事が多くて当たり前、 それでも周囲の人の笑顔によって、自身のやりがい幸福感を得られます。
自分と他人を分け、優越感を抱いたり、嫉妬感を抱くことは、真の幸福にはつながらない。
周囲の人が幸福でなければ、自分の幸福はありえない。
桜が満開になっています。 来月 4月に婆は97歳になります。 転倒して歩けない体になっているが、気だけは、若く、自分では何でもできると思っているところが、笑える。 週に五日 デイにお世話になっています。 最近気がついたが、デイをが休みの時は、身内だけの接触で緊張感が薄いのか、夜中に寝言が始まる、起こして、死んじゃうよ” まだまだ、元気な証拠。
命に合掌
