3,11から半年後に石巻に行った時には海岸の街は全滅状態で瓦礫が山のように積まれていた。 石ノ森記念館ミュージアムの当たりは川べりの地盤が2メートルぐらい沈下し、川べりの歩道は歩けなかった。 お店もトラックを改造したような簡易のマルシエが営業していた。  2年前に石巻に行くことがあり、どのように変わったか、行ってみた。  新しいお店も営業を始め、マルシエは市場と街の発信基地のような感じになっていた。 もちろん、津波の大きな被害のあった広大な地は、建物禁止区域。  北上川方面に向かって行ったときに。左手に道の駅の様な温泉を兼ねた、建物が建っていて、右側下側に、仮設住宅が並んで、数人の人影があった。  住宅は海からかなり遠く海抜30メートルの地域だそうです。  このような場所に漁業で生計を立てていた人は長い間未だに辛い思いをされている。 子供たちが育ち、仮設から離れたら、海がないような場所に戻るとも到底思えない。

 

 居住禁止区域を設け津波に負けない高台に住むのなら、何のために海が見えない長い防潮堤が必要なのか?  

 

あの時瓦礫を利用して、護岸に30メートルの山を作り、山の裏側に港を作り木を植え、公園にしたら、景観を損なわないで、大震災に強い港街になったと思う。   福島の原発の事故の後,未だに緊急事態宣言が発令されたまま。  ほんの2キロ四方ぐらいの土地を除染し、伝承館を建て、この中を、聖火を走らせるらしい。  周囲の山林は殆ど除染が出来ていない。  1mmシーベルトから20mmシーベルトが、人間の生活できるレベルらしい。  原発周辺区域は20mmシーベルトだから安全だというが、中で働く人は、防護服をつけ、毎日働く時間を管理されている。  管理が出来ない、民間の人は禁止区域を除いて戻っても良いとされるが、誰でも心配になる。 汚染土が高い地域は未だに住むことが出来ない。 牛を家族のように、かわいがっていた、牧場の人は、逃げるのが一杯で牛を避難させることが出来なかった。 家を新築したばかりでも、避難するしかなかった、多くの牛が死んでいった。 野良となった牛を集めて、世話をする人が出てきた。  どれくらいの広さが、禁止区域になっているかというと、東京都の23区ぐらいの敷地が、住めなくなってしまっている。  都内23区の広さが、使えなくなっている原発の事故の恐ろしさ。

 

それでも、復興が進んだ。  汚染水もセシウムで殆ど取り除かれていないのに、安倍、菅は隙あれば流そうとする。  日本国をとことん、解体するとは、理解できない。  そんなに、利権やお金が欲しいの?

 

マルクス共産主義よりも、チエルノブイリ原発事故で、ソビエト連邦が崩壊した原因にもなったと思われる。  東ヨーロッパ諸国にセシウムをまき散らした。 今は広大な地に人がいないから、動物たちがある意味繁殖しているが、染色体の影響があるような種が報告されている。

 

福島も汚染されたイノシシや動物たちのある意味天国になっている。 原発はなければだめだという人もいるが、万が一大事故があれば、被害は大きい。  イギリスでも、直径が200メートル近い風力発電が並び、原発や化石燃料にも頼らなくてもエネルギーが賄えるような技術が始まっている。  日本でもフランスの企業と連携し海上に風力発電を計画している。  関西空港が船のように浮いているイメージ。 海上都市。  太陽光発電の問題は夜間電力の問題、電気を水素に変えたり、リチウム電池の開発がすすむ。  青森の六ケ所村の放射能は非常に危ない。 万が一海に流れたらと思うと、青森も福島の二の舞。 寒立馬という雪の中でも餌が少ない中じっと吹雪に耐える馬六ケ所村近くにいる。  体は大きくはないが、毛で覆われたような馬です。 放射能は誰でもいらないと思っているが、原発廃物を受け入れる事により、村の財政が豊かになるから必要悪という事だと思われる。

食料も少ない、猛吹雪でもじっと耐える寒立馬の真の強さを知るのも悪くない。

 

命に合掌