富士門流、五人所破抄は、日興上人に仕え学頭だった、日順の書からも、宗祖は久遠からのお釈迦様の弟子で、法華経から離れた教えは見当たらない。

 

日蓮聖人は忝くも上行菩薩の再誕にして本門弘経の大権なり、所謂大覚世尊未来の時機を鑒みたまい世を三時 に分ち法を四依に付して以来、正法千年の内には迦葉・阿難等の聖者先ず小を弘めて大を略す竜樹・天親等の論師は次に小を破りて大を立つ、像法千年の間異域には則ち陳隋両主の明時に智者は十師の邪義を破る、本朝には亦 桓武天皇の聖代に伝教は六宗の僻論を改む、今末法に入つては上行出世の竟本門流布の時なり正像已に過ぎぬ何 ぞ爾前迹門を以て強いて御帰依有る可けんや、就中天台・伝教は像法の時に当つて演説し日蓮聖人は末法の代を 迎えて恢弘す、彼は薬王の後身此れは上行の再誕なり経文に載する所・解釈炳焉たる者なり。

 

又五人一同に云く、先師所持の釈尊は忝くも弘長配流の昔之を刻み、弘安帰寂の日も随身せり何ぞ輙く言うに 及ばんや云云。

 日興が云く、諸仏の荘厳同じと雖も印契に依つて異を弁ず如来の本迹は測り難し眷属を以て之を知る、所以に 小乗三蔵の教主は迦葉・阿難を脇士と為し伽耶始成の迹仏は普賢文殊左右に在り、此の外の一躰の形像豈頭陀の応身に非ずや、凡そ円頓の学者は広く大綱を存して網目を事とせず倩聖人出世の本懐を尋ぬれば源と権実已過 の化導を改め上行所伝の乗戒を弘めんが為なり、図する所の本尊は亦正像二千の問・一閻浮提内未曾有の大漫荼羅なり、今に当つては迹化の教主・既に益無し況や□□婆和の拙仏をや、次に随身所持の俗難は只是れ継子一旦の寵愛・月を待つ片時の螢光か、執する者尚強いて帰依を致さんと欲せば須らく四菩薩を加うべし敢て一仏を 用ゆること勿れ云云。

 

仏像に執する者とあるが、ここでも、釈尊の脇士に四菩薩を加えて使いなさい、あえて釈尊一体仏ではダメという事。

 

此の上に本門の戒壇建立必定なり、所以は何ん・涌出神力の明文に本化の大人を召して久成の要法を授く、故に経には・後五百歳中広宣流布・於閻浮提無令断絶と説き、釈に・当知法華真実経・於後五百歳必応流伝と明せり、加之・天台は下方を召し来る亦三義有り・是れ我が弟子応さに我が法を弘むべし・縁深広を以つて能く此の土に遍く益すべしと、道暹云はく・付嘱とは此経唯下方涌出の菩薩に付す、何を以ての故に爾る・法是れ久成の法に由るが故に久成の人に付す等と経釈符契の如し、行者既に出現し久成の定慧・広宣流布せば本門の戒壇其れ豈に立たざらんや、仏像を安置することは本尊の図の如し・戒壇の方面は地形に随ふべし、国主信伏し造立の時に至らば智臣大徳宜しく群議を成すべし、兼日の治定後難を招くあり寸尺高下注記するに能へず。

 

日興上人は、本門の戒壇が帝から認められ、広宣流布の暁には仏像を安置することは文字曼荼羅本尊の図の如しにしなさいとされたようです。

 

一、久成の釈迦造立有無の事。
 日興上人の仰に云はく末法は濁乱なり三類の強敵之れ有り、爾らば木像等の色相荘厳の仏は崇敬憚り有り、香華燈明の供養も叶ふべからず、広宣流布の時分まで大曼荼羅を安置し奉るべき云云、尊の仰に云はく大聖人の御代二箇所之れを造立し給へり、一箇所は下総の国市河真間富木の五郎入道常忍みそ木を給て造立す、一所は越後の国内善の浄妙比丘尼造立して之有り云云、御在生に二箇所なり、又身延沢の仏像等は聖人没後に様々の異義之れ有り記文別紙に之れ有り云云、惣じて三箇所之れ有り此れ等は略本尊なり、但し本門寺の本尊造立の記文相伝別に之れ有り云云、予が門弟相構えて上行等の四菩薩相副え給へる久成の釈迦略本尊、資縁の出来、檀越の堪否に随つて之を造立し奉り広宣流布の裁断を相待ち奉るべきなり文然れば則ち日大は立像は是れ日尊の本意に非ずと、日印は東国に在りて上洛の次でを以つて之れを日代に告げ玉ふなり、日代未だ日尊の本意を知り玉はず蓮祖の遺言の故事を挙げて日尊一旦の義を破し玉ふなり、日尊後日に十大弟子を除きて二尊四大菩薩を造立するなり。

 


謹て日代の返牒を案ずるに云はく、大聖人法立の次第、故上人の御真筆棄て置かるゝ事無念の事なりとは、代公御遷化記録を指すか、故上人の日興御真筆なればなり、日尊立像等を除き以つて久成釈尊を立て玉ふが故に記録に背かざるなり、又云はく仏像造立の事、本門寺建立の時なり文、然るを日尊本門寺建立の時に先つて仏像を造立し玉ふ是れ一箇条の相違なり、過罪に属すべきや不やの論は観心本尊抄、四条金吾釈迦仏供養抄、日眼女釈迦像供養抄、骨目抄唱法華題目抄等を以つて之れを決すべきか、若し日尊実録日大自筆無んば自門他門皆日尊已に立像釈迦並に十大弟子を造立しぬと謂ふべし、故に日尊の末弟深心に当に実録を信ずべき者なり。

 

日目上人の後を継いだ、要法寺の日尊は日尊本門寺建立の時に先つて仏像を造立したといわれている。

いずれにしても、大石寺や学会がかつて強く主張した、戒壇の本尊なるような板本尊は見えない。  鎌倉時代には富士門流と言えども

法華経から外れた教えは見当たらない。  大石寺9世の日有が、本尊に関して他の富士派からクレームがあったようです。

 

大石寺僧侶、 創価学会、顕正会 の教学は日蓮聖人の教えはもちろん。日興上人の教えも守らない、ひどいものです。

創価学会は大石寺から破門され、日蓮聖人の教えに戻るというが、未だに江戸時代の日寛教義から抜け出せない。 

学会はかつては、盗聴事件など、多くのカルト的な事をやってきた、経緯があります。  顕正会もまねているようだ。

多くの人は、日蓮聖人の教えを知らなすぎる。

 

命に合掌