原殿御返事から創価学会のでたらめ教義


● 久遠実成の如来の木像

 久遠実成とは、寿量品で釈尊が五百塵点劫の久遠の昔に、すでに法報応の三身を具えた仏であったことを説き顕したこと。爾前迹門の諸経では釈尊は始成正覚の仏とされるが、法華経本門寿量品では「我れ実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由佗劫なり」と説き、久遠の昔に成道し、一切諸仏を生み出した本仏であると明かす。ここでは、久遠実成の如来とは大聖人を指し、木像とは始成正覚の一体仏に対して木像といわれたまでであり、大聖人御図顕の本門の本尊である。波木井実長は、小乗の釈迦一体仏を造立しようとして、大聖人御図顕の本尊の信仰を破棄した。富士一跡門徒存知の事には「釈迦如来を造立供養して本尊と為し奉るべし 是一」とあり、謗法行為として破折されている。

 

原殿御返事の 久遠実成の如来とは大聖人を指していない、 簡単な事なのに、人師に流されてしまう。

日興上人は日蓮聖人の本地は久遠実成の如来の本弟子上行菩薩としている。 

本とはもともとという意味。  

 

日興上人は釈迦像の脇士である地湧の菩薩の上首である四菩薩を安置しなさいといわれている。四菩薩は日蓮聖人の本地。

 

釈迦如来の脇士の四菩薩はあった方が良いが、たとえ釈迦一体仏であろうと、本師として拝せないようでは、日蓮聖人の弟子とは言えない。南伝仏教の釈尊の涅槃像だって、人の姿でこの世に出現され法華経を説いてくれたと、拝せないようでは、日蓮聖人の弟子法華の行者とは言えない。

信者さんやお弟子さんたちに日蓮聖人は謗法を教えたと創価学会は言いたいようだ。

 

日眼女造立釈迦仏供養事  /弘安二年二月 五十八歳御作

 

 御守書てまいらせ候三界の主教主釈尊一体三寸の木像造立の檀那日眼女御供養の御布施前に二貫今一貫云云。

 法華経の寿量品に云く「或は己身を説き或は他身を説く」等云云、東方の善徳仏中央の大日如来十方の諸仏過

去の七仏三世の諸仏上行菩薩等文殊師利舎利弗等大梵天王第六天の魔王釈提桓因王日天月天明星天北斗七星二十

八宿五星七星八万四千の無量の諸星阿修羅王天神地神山神海神宅神里神一切世間の国国の主とある人何れか教主

釈尊ならざる天照太神八幡大菩薩も其の本地は教主釈尊なり、例せば釈尊は天の一月諸仏菩薩等は万水に浮べる

影なり、釈尊一体を造立する人は十方世界の諸仏を作り奉る人なり

 

謗法の施

 謗法への布施のこと。誹謗とは誹謗正法の略。正法を謗って信受しないこと。また、正法に背き、人に誤った法を説いて正法を捨てさせること。施とは布施のこと。物や利益を施し与えること。大乗の菩薩の修行である六波羅蜜のうち壇波羅蜜。布施には財施・法施など種々の立て分けがある。

 

創価学会員は日蓮聖人の教えはもちろん、日興上人の教えにも違背する謗法の徒。  聖教新聞も必要がない、

せいぜい回し読みでたくさん。 財務なんて、もちろんしたら、日蓮聖人も日興上人からも、謗法の施になる、 

会員の皆様も、 学会教義はすてて、 今一度日蓮聖人の教えに戻って、この国が正法で幸せな国を共に目指したい。

 

命に合掌