真宗のブログから

 

仏説観無量寿経って、どんなお経?

 

『観無量寿経』、略して『観経』とも称されます。

 

 この経典は、釈尊在世当時、王舎城(おうしゃじょう)という王族のあいだに起こった、家族間の悲劇(王舎城の悲劇)を契機として説かれたものです。

 

阿闍世(アジャセ)という王子が、悪友の提婆達多(ダイバダッタ)にそそのかされ、父である頻婆娑羅王(ビンバシャラ王)を幽閉し、飢え死にさせようとしました。王妃である韋提希夫人(イダイケ夫人)は王の身を案じ、こっそり衣服や装飾品の中に食物を隠して幽閉されている王に与えていたのですが、それがアジャセ王の耳に届き、激怒したアジャセは実の母であるイダイケをも牢獄に閉じこめたのです。

 

イダイケ夫人は牢獄の中で、遠く耆闍崛山(ぎしゃくっせん)におられる釈尊を心に念じ、仏弟子を遣わして説法してくださるよう求め、これに応じて釈尊みずからイダイケ夫人の前に姿を現されました。そこで夫人は、この濁悪の世を厭い、苦悩なき世界を求め、阿弥陀仏の極楽浄土に往生したいという思いを起こされ、浄土へ往生するための観法を説かれるように請いました。ここから釈尊の説法が始ります。

 


 最初に、精神を統一して浄土と阿弥陀仏や菩薩たちを観想する13の観法(瞑想法)が説かれます。さらに、釈尊はみずから精神を統一しないままで修する善について、さまざまな善根(功徳)を積んだ者が往生できると説かれます。しかし、これらの善を修することができない者のために念仏の教えがある、説かれ、またお経の最後に重ねて「無量寿仏の名号(阿弥陀仏のおこころ)を心にとどめよ」と仰っておられます。

 


 前半の大部分が瞑想や善根について細かく説かれていることから、永くこのお経は「浄土へ往生するための修行法マニュアル」というような扱いを受けていました。しかし、中国の善導大師は、「このお経の真意は、難しい修行が出来ない者のために、念仏が勧められている。この他力念仏の教えこそが阿弥陀のおこころなのだ」と受け止められたのです。

 


そこで親鸞聖人は、正信偈の中で、「善導、ひとり仏の正意をあきらかにせり(善導独明仏正意)」と善導大師を讃えておられます。

 

 

 

仏、阿難に告げたまはく、「法蔵比丘、この頌を説きをはりて、仏(世自在王仏)にまうしてまうさく、〈やや、しかなり。世尊、われ無上正覚の心を発せり。願はくは仏、わがために広く経法を宣べたまへ。われまさに修行して仏国を摂取して、清浄に無量の妙土を荘厳すべし。われをして世においてすみやかに正覚を成りて、もろもろの生死勤苦の本を抜かしめたまへ〉」と。

仏、阿難に語りたまはく、「ときに世饒王仏、法蔵比丘に告げたまはく、〈修行せんところのごときの荘厳の仏土、なんぢみづからまさに知るべし〉と。 比丘、仏にまうさく、〈この義、弘深にしてわが境界にあらず。やや、願はくは世尊、広くために諸仏如来の浄土の行敷演したまへ。われこれを聞きをはりて、まさに説のごとく修行して、所願を成満すべし〉と。 そのときに世自在王仏、その高明の志願の深広なるを知ろしめして、すなはち法蔵比丘のために、しかも経を説きてのたまはく、〈たとへば大海を一人升量せんに、劫数を経歴せば、なほ底を窮めてその妙宝を得べきがごとし。人、至心に精進して道を求めて止まざることあらば、みなまさに剋果すべし。いづれの願か得ざらん〉と。ここにおいて世自在王仏、すなはちために広く二百一十億の諸仏の刹土の天人の善悪、国土の粗妙を説きて、その心願に応じてことごとく現じてこれを与へたまふ。

 

 

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親鸞さんはこの世を悲観して苦しみながら自殺した善導という坊さんを称えている。  もともと仏説観無量寿経は韋提希夫人を安心させ、慰める為に釈尊が説かれた教えです。  仏意だと思ってしまったのは、仏陀の真意をわからなかった坊さんの考え。 西方浄土の阿弥陀仏の前身は法蔵菩薩で、世自在王仏に経法を聞いて自分も仏に成りたいと請願し西方にいって、仏国を作った。 要するに、本来は世自在王仏に経法を聞いた。

その経法が大事な事になる。

 

東の薬師アシュク如来西の阿弥陀如来 これら十方諸仏は皆法華経より出でた仏です。  ですから、親鸞さんが一番大事にした法蔵菩薩の大事な18願には五逆罪と正法を謗る者は除くと書かれている。  経にもそれぞれ解かれた因縁がある。

 

命に合掌