仏教をあまり知らない人でも観音様に手を合わせる人が多い。  日本の仏教宗派の中で、僧侶たちが共通して読経できる経は妙法蓮華経の観世音菩薩普門品25の経です。  ですから災害などで僧侶が共同して供養をするときには、観音経ばかり続けることが多い。

 

苦しみの中で自殺された念仏の坊さんは観音・勢至も亦来つて我を助けよと言われた。  大乗仏教にはなぜ多くの迹仏、そして迹菩薩が説かれているのか?  

 

全ての人を自分と同じような心をもって欲しいと願った釈尊は、自身が隠れた後の世に生じてくる人のことも忘れていません。 

 

釈尊は私たち凡夫が努力や精進を心がけても、長い間には不安を感じたり、時には挫折してしまう事もある事を承知でした。

 

そこで釈尊は様々な迹菩薩を登場させたり、釈尊自身の悟りに導くために、菩薩達の行いを真似して歩めば大丈夫だと、特に後世に産まれる人たちの為に多くの菩薩を登場させ、励ましてくれています。 お釈迦様、 観音様は、私たちが自分をお手本として学んで欲しいという慈悲からです。

 

例えば私たちは今コロナ禍で、地域や職場、家庭の周囲の人たちは多くの悩みを抱えている声を聴いています。 凡夫の  私たちも辛く苦しい声を聴いたなら、自分にできる救いの手を観音様に成り代わって差し伸べてあげる。  それが、お釈迦様、観音様の大慈悲だという事です。  観音様に辛く苦しい我を助けて欲しいと、言いたくなる気持ちはわからないでもないが、本来は私たちが観音様に成り代わって、苦しい思いをしている人によりそう。 それが菩薩行

 

命に合掌