僕の顔をお食べ  アンパンマンはお腹がすいた子供に自分の顔を食べなさいと言われる。 自分を犠牲にしてまで、他を生かすための行為の大切な事は仏典にもたくさん出てくる。

 

(シビ王という心やさしい王さまがいた。帝釈天はその心を試した。

王さまのところに鷹に追われた鳩が来て、命ごいをした。

鷹は王さまに、

私は腹が減っている。鳩を食べないと死んでしまう。あなたは鳩のいのちとわたしのいのちとどちらが大事だと思っているのか。

と尋ねた。

そこで王さまは鷹のいのちも大切だと思い、自分の体の肉を鷹にやろうと思い、鳩と同じ重さ分だけ自分の肉を切り取って天秤の上に置いた。

しかし、その天秤はどれだけ王さまの肉を切り取って置いてみても、鳩の重さとつり合わない。

そこで王さまは自分の体を天秤にのせ、自らいのちを与え、鳩のいのちを救いました。

シビ王の心を知った帝釈天は、王の傷をもとのように癒し、敬った。 )

 

虎の子供を生かすために自分の肉体を提供する。 こういう行為が正しいか正しくないかは、私にはわからないが、今川に溺れている人がいる。 泳ぎが得意でないのに、夢中で飛込溺れた人は助けるが、自分の命は犠牲になった。  

 

私たちは多くの命を頂くことで命を繋いでいる。 奪った命を無駄にしない、感謝し頂くことにより、小欲知足の精神が生きてくる。

 

交通事故などで無くなられた人が、まだ使える臓器移植を苦しんでいる人に提供することは、個人的には多いにありだと思っている。

 

命に合掌