学生の頃は、なぜか、大人の女性が良かった。 勤めても、上司がキャバレーやクラブに連れてってくれるのを楽しみに

それが、理由で働き、遊んだ。   何の事はない、本来女性好きなのだろう。  そんな時、現在の妻と出会った、私お見合いするのときた。  特別な思いはなく、週に何回か、裁縫を習っていた。  役に立つのか?

と思いながらも、私の母も着物を縫ったりして育ちました。  それでだけのことで、この女性は人に渡したくないと、強いおもいから結婚しました。   

 

母親はすでに末期癌でしたがとても喜び、女房の両親を大切にというのが、遺言でした。  忙しい仕事の合間でも、相変わらず、夜遊びが好きでした。 もちろん、信仰も始まっていましたから、妻を裏切れない。

そのような女性たちが、私に仕事を紹介してくれたり、助かったことがたくさんあります。

 

それでも、本来女性好きなので、危ない事はありました。  私を頼って、泣きながら胸にしがみつく、 妻がいても一緒に面倒ぐらい見れるだろ、一緒に落ちろという声が私の心にある。 その反面お前はそれでも、法華の行者なのかという声。

 

逢うのは、やめよう、と思うとため息が出る。 逢えない時間が愛深めるのさ、 まさに歌通りで、ため息ばかり、お互いに苦しんだかもしれませんが、土壇場で、吹っ切る事が出来た。 煩悩の業は苦しんで吐き出すことで、心が磨かれる。

 

 今思うと、苦しく深いため息ばかりを経験した事で、女性に対する業を整理できたのかもしれません。  妙法蓮華経  の妙は女を少し、法に基づいて女性は少しよ。 ちょっとだけよ が女性に対する私の悟り ♪

 

命に合掌