お釈迦様は涅槃経という経文の中で、 【一切衆生が種々の苦しみを受けるのは、ことごとくこれ如来一人の苦である】
といわれています。 私たちは、何かと、すぐに自分と他を区別し、他の良い行為を素直に喜べなく、嫉妬したり、時には、気に入らないと、怒りの心や憎しみの心、時には恨みの心を抱いてしまったり、他の苦しみや悲しみに対して、時には、ザマーミロというような畜生以下の優越感まで抱いてしまう。
大乗仏教ではすべての衆生には仏性が具わっているといわれるが、仏性が具わっていても、自らの行為や行動が伴っていなければ、仏とは言えない。 凡夫は迷う、 仏は迷わない、 どうしても、仏に成るため(成仏)の修行が必要。
お釈迦様には、菩薩や仏様の心だけではありません。 地獄の心や餓鬼、畜生の心も備わっている。 三悪道の心が備わっていなければ、我々、衆生の苦しみや悲しみは、理解できないし、教化もできない。 我々の心も三悪道の心だけでなく、時には仏心と言われるように、仏、菩薩の心も備わっている。
※ 大事な事は、お釈迦様も私たちも、具わっている心に差別はない、同じだという事です。
どうしたら、お釈迦様のように迷わない行動がとれるか?
法華の行者日蓮聖人は下記のように言われています。
釈迦如来の御神い我か身に入りかわらせ給ひけるこそ、わが身ながらも悦ひ身にあまれり、法華経の一念三千と申大事の法門はこれなり
他に対して差別をしない、お釈迦様に、自分の心の中に住んでいただき、自身の手足を、お釈迦様に使っていただくことにより、如来と共に (法師品)歩む生活が、人生の生きがいになる。
命に合掌
