私の境地は最も優れ、理解を超えた法である。それはただ、仏と仏だけが究める事ができる、あらゆる存在の真実の姿なのだから。 その有様は、あらゆる存在がこのような相と、あらゆる存在の根底となる不変の本性と、このような本体と、このような潜在的な力と、このような働きと、このような原因と結果、このような間接的原因と結果、そうしたことどもが、それぞれ平等にかつ緊密に結び合っているのである。」 妙法蓮華経 方便品 第二 意訳
法華経は仏陀の時空を超えた悟りの法で比喩を混ぜながら、真実の教えを説いているといわれます。 当然仏だけにしか究める事が出来ない、真実の姿です、当然我々凡人には時空を超えた法は理解できませんが、法華経の行者日蓮聖人の教えを踏襲された宮沢賢治は理解されていた。
20世紀の最高の科学者といわれるアインシュタイン
http://web1.kcn.jp/tkia/monogusa/mmh-20.html
相対性理論はボンクラの私には難しいが、例えば時間というものは、楽しい事を夢中でしていると、時間は、短く感じる、つまらない事を苦しい事をしていると、同じ時間でも長く感じる。 大方このような考え。 空間的には光の速度で400光年という遠い北極星が400年前に放った光を現在私たちは受けながら生活している。
不老不死の教え妙法蓮華経を伝えるような浦島太郎の物語の発生はふるく、『日本書記』・『万葉集』・『丹後国風土記』などに見られるという。 浦島太郎伝説
http://renpouji.sakura.ne.jp/legend/index.html
法華経には海中の竜宮城の話があります。
太郎は魚を捕る貧しい漁師の子で子供たちが亀をいじめていた。 太郎はお金を与えて亀を助けた。 助けられた亀は太郎に恩返しをし、太郎を背中に乗せ、竜宮城に連れてゆく、魚たちの舞が珍しく楽しく、月日は3年もたつが、地上では何百年もたっていた。太郎は乙姫さまから、お土産に玉手箱をいただくが、知っている人は誰もいなく、悲しみの為、玉手箱を開けると煙が出てきて、たちまちおじいさんになるという話。
いじめられている亀は怖く地獄の境地。弱い者いじめをする子供は畜生そして修羅の境地さらにお金をもらって、亀を放すのは餓鬼の行為。、助けた太郎は、菩薩の境地、恩を受けた亀は恩に報いるという人の境地、竜宮城は天界、玉手箱は(玉魂)
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天、 仏教で言う六道輪廻、 仏教はこうした輪廻からの解脱です。
仏教は天が最高ではありません。人は有頂天になると、そこからは落ちるだけ。 法華経は ちょっとした霊界物語として楽しむとわかりやすいかもしれない。
浦島太郎の原作には続きがあったらしい。
https://honcierge.jp/articles/shelf_story/6916
絶望した浦島太郎がかたみの筥を開けると、紫の雲が立ちのぼり、太郎は老人の姿になってしまいました。さらにその後は鶴となり、「蓬莱山」という仙人が住むといわれている理想郷へ飛び立ちます。
同じ頃、竜宮城の女性も亀へと姿を変え、蓬莱山へと向かうのでした。
蓬莱山は不老不死の山といわれる。
虚空のお釈迦様に上り、仏陀の弟子だった、声聞、縁覚の菩薩は、お釈迦様の力で上げられる、そして海中からの竜女は自力で登る。 私たち地球の地下で待機していた元々のお釈迦様の弟子は、こつこつと昇る。 これらの者は、皆娑婆世界で生まれ変わりをしてきた者達というのが、妙法蓮華経
命に合掌
