辛く、苦しい病にかかったり、うつ病になり、マイナス思考に走り、 死にたいと思う人が、安楽死があればと思われる人も多い。
安楽とは仏教の言葉ですが、苦痛がない事ではなく、悟りという心の境地で安寧を楽しむ事です。
仏教は今をよりよく生きるための教えです。 あの世に行ってから、幸せになろうという事ではありません。
人として、生じてくることは奇跡に近い事、 辛く苦しく、恥ずかしくても、魂の修行を途中で投げ出す事は、、さらに苦しみの世界に生じてしまうと
仏陀は自殺しようとした、女性に対して荷車を引く牛に例えて語っています。 牛は荷車が無ければ、楽になると、引いている荷車を岩にぶつけて壊してしまった。 牛の主人は簡単に壊れないような、さらに重く、頑丈な荷車を牛に引かせる、牛はこんなことならと、反省しても、あとの祀り。 肉体を荷車に例えている。
仏陀は悟っている阿羅漢に対しては、自死を絶対にダメだとしない。 仏陀の前世の物語に、飢えた虎の子の為に、差し出す命の話や
鷹に追われているハトの話があります。 鷹はハトを食べなければ死んでしまう、聖者は自分の肉体を鷹に食べさせる話。
、チベット僧でも、政府によって、蹂躙されている仏法の教えを守る為には、焼身自殺をする人もいる。 法の為には、自死もやむを得ないという立場です。
これらから、言えるのは、家族と離れ、悟っている出家者、 他の命を救うため、法を守る為には自分の命を投げ出す事は否定されない。
呼吸、心臓、脳の三つが停止したことを確認できれば、臓器移植によって、他の命を生かす事も、ありという見解もいえる。
人がうらやむような才能あふれた青年がなぜ自死をと思われているが、あまりの周囲の期待に、疲れてしまわれたようです。 忙しいという字は心を亡くす
ゆっくり、歩めば良い。 歩むという文字は少し止まる という事。 引きこもりの子を持つ親の苦しみ、 本人も苦しんでいる。
ゆっくり休ませて、そして、歩き出せばよい。
合掌
